倉庫労働誌

春先、金銭面でにっちもさっちも行かなくなったのでイヤイヤ始めた派遣労働。「軽作業」と称されるものが何も軽くない事は以前やっていたスーパーの清掃バイトで理解していたが、それ以上に「軽」の字が似つかわしくない軽作業があるんだとこの派遣労働で思い知った。

備忘録としてこの派遣労働の事について記しておく。二度とこのような仕事はしたくないので。もう少し考えてバイトを探すべきだった。浅はかだった。



スタッフ登録の話。
某所にある派遣会社の登録説明会に参加した。その説明に出てきた社員がもう凄かった。ワ◯ミの店員インタビューのアレみたいに目の輝きを失っているのに喋りだけは異様にハキハキしていた。脳髄いじられてんじゃないのか。
一通り説明を済ませた後は謎の面談を設けられた。今後の労働の際についての注意点とかを聞かされただけだった気がする。この人、俺の目を見て話してるんだろうけどただただ目がカッ開いてるだけで軽く恐怖を感じた。エラい会社に登録しちゃったんじゃないかなと思った。



早速翌日、都内の埋立地にあるA社に飛ばされた。飲料の仕分けとかそんな内容で、俗に聞く倉庫バイトの定番とも言えるものだった。
まず現場について驚いた。丸っ切り覇気のない従業員に軽く説明を受け、作業着に着替えて安全靴を履いて待ってろと言われたので言われるがまま休憩室で待機していた。
安全靴に穴が開いていて靴底もベロンベロンになっていた。何が安全靴じゃボケ。俺がさっきまで履いてた靴の方がよっぽど安全じゃオタンコナス。おまけにめっちゃ臭かった。ここまで出勤から10分。先が思いやられる。

現場は薄汚い倉庫。バカ重い瓶飲料のダースをとにかくパレットに積み上げるという作業をした。一緒に組まされたおじさんが一生ムスッとした顔をしていて印象が悪かった。なんか怒られてる気がしたのでせめて無表情でいてほしかったな。ちなみにこのおじさんは退勤までずっとムスッとしていたので顔がそういう作りなんだろう。
2時間この作業をやった。まだ寒いくらいの気温だというにに汗だくになり、これじゃ倒れるわと思ったのだが周囲の誰もが水分を摂る様子を見せなかったのでちょっと心配になった。今どき学校でも体育の授業中に水分補給が許されていると言うのに。

昼休みの休憩室、昼食持参の派遣労働者と弁当支給の社員で格差を感じてしまい、なんかイヤな気分になった。みんな疲れているからなんだと思うが、休憩が明けるまでの60分間その場にいる一切の人が一言も言葉を発さずただただ時が過ぎるのを待っていたのが不気味だった。

午後は検品作業。納品されてきた飲料のダース箱を開封して目視でチェックし、異常がなければ再び封を閉じるという流れだった。幸い自分は再度封をされた箱をコンベアに流す役を任されたので、そこまで大変ではなかった。
ただひたすら同じ作業を繰り返す事と、10人くらいいるのに雑談も何もせず無言のまま作業をしているのが恐怖だった。別に和気藹々と仕事をしろとは言わないけど、いつもこうなのか?ほんの数時間やっただけでそろそろ気がお狂いになりますわよ状態になったので社員として働いてる人に脱帽最敬礼。
というか目視の検品を倉庫に委託するくらいなら製造元でやっとけよと思うのは俺だけか。箱詰め前に機械通してスキャンすれば不良品弾けらんないか?まぁ機械のコストを考えると人間にやらせた方が安上がりなんだろうな。
雇用ってこうして生まれてるんだな。

退勤の時間、派遣労働者は登録先の会社から配られる紙に勤務先と勤務時間を記入せねばならず、これにエラく人権の無さを感じた。どうしてこんな事を電子化できないんだろう。あまりの非効率さにモヤッとした。

この日は全身筋肉痛になった。
ここは二度とごめんだな。



B社の話。
A社の翌日。筋肉痛の体に鞭を打ちながらやってきたのは埋立地にあるB社。A社と比べると建物も綺麗で、環境としては良かったと思う。ま、点数を付けるとすると0点満点中0点なんですが。
出勤したはいいものの、何の説明も受けられず勤務先が建物のどこにあるのかすら教えてもらえなかった。はぁ、こういう世界なんだな、倉庫業務って。不親切にもほどがある。なんか知らんけど今日は怒られる気がしてきた。
仕事はいわゆるピッキング。お、足が犠牲になるけどこりゃ簡単だな、と思ったが、責任者の説明があんまりにもヘタすぎて仕事内容をいまいち把握出来なかった。他の人に聞いてとりあえず理解できたのでセーフ。
トップがこんな人だから労働者がやめてって代わる代わる新人が来るんだろうなと、なんとなく察した。
3時間ほどピッキングを続けた。取り扱っている品物が自分とは縁がなくていまいち想像が付かなかった製品ばかりだったので、ピッキングするってことはそれだけ発注が来てるということなんだなと思いながらやっていた。
B社の良くないところは休憩時間が曖昧なところだった。言われるがまま作業をしていたら急に従業員が引き上げ始め、そこで初めて昼休みだと気づいた。ちなみに求人に載っていた休憩時間から25分遅れていた。
休憩明けも同様だった。休憩室にいる人がみんな無言で持ち場に返って行く。「何時まで」とか言われていないので、誰かが立ち上がった時間を休憩終了と判断しているっぽい。眉間に皺が寄った。

午後は段ボールの組み立て作業。ウヘー、よく聞く箱を作る作業ってマジであんねんな。40代半ばっぽい白髪混じりのオサーンと組まされた。就職氷河期の産物なんだろうなと思ってちょっと悲しくなった。
世の中には真面目に取り組むべき仕事とそうでない仕事があり、この段ボール組み立ては主観で言えば真面目に取り組む必要がない仕事だ。倉庫間でしかやりとりされない箱らしく、次の倉庫で別の製品と組み合わされるタイプの小物用の箱だった。たぶん店舗にまでは届かない、ましてや客は目にすることもない、そういう立場にある段ボールの箱である。んじゃあ適当にやっても問題ないか、と思ったのが後の祭りだった。

オサーン「おいてめぇ!」

なんか急に怒られた。マジで何もしてないのに。

オサーン「箱作るスピードが俺よりおせーんだよ!やる気がねぇなら帰れよ!」

シンプルに中身がないことを倉庫内に響くボリュームで言われてポカンとした。餡子が入っていない最中並みに中身がない。え、何。何に怒っとんのこいつ。
箱の組み立てる数には別にノルマなんてなく、責任者が「ここに出てるやつを組み立てられるだけやっとけ」と言っていたので素直に応じていただけである。
それなのに、なんか自分比で組み立ての数が少なかったのがこのオサーンにとっては不満だったらしい。
実際やる気無いし帰ろうかなと思ったが、金のためなので怒号を無視して作業に取り組んだ。作業用のカッターが机の上にあるので正直いつ刺されるかヒヤヒヤしていた。
おそらく、こういった低レベルな仕事にしか従事したことがない人間にとってはこれを天職だと思っていて、非常にしょうもない内容に何かしらのプライドを持っているんだと思った。じゃなきゃ段ボールの組み立てるスピードが遅いとかで怒らんもんな。

この労働先じゃやってけねぇなと思い、次の労働先は別の会社を希望した。



C社の話。
また埋立地です。交通費かかるくせに上限500円しか支給しねぇんだよなこういうとこ。アホか。
C社は前2社と比べるとかなり楽チンだった。というのも人を多く募集してしまったらしく、現場の体制が整うまで業務開始が40分も遅れた。
40分ボケッとしてるだけで金が稼げてるんだなと思うとちょっとワクワクした。

現場に入るとピッキングから始めることとなったが、労働者の人数に対して出荷量が少なすぎたせいで一瞬で終わってしまった。
10分くらい働いてまた休憩室に押し戻された。いいのかよこれ。

20分後に再び現場へ。出荷する方面ごとに商品を仕分ける作業をやらされた。面白みはなかったけどちょっと楽しいと感じた。でも二度とやらん。
出荷数が溜まっていたらしく、この作業は数時間に及んだ。

この作業が済んだ後、人数が多過ぎるので倉庫全体を掃除してほしいと言われて学生時代の掃除の時間ばりに長箒を持った。懐かしい気持ちになれた。

C社は楽だった。書き殴りながら何かしらの文句を言おうと思っていたが出てこなかったな。



再び、A社。
できれば二度と来たくなったが、人手不足だから出てほしいと言われて渋々出勤した。人手不足になる理由を体感しながらも応じてしまう自分がイヤだった。
土曜日だったので本来の業務はなく、簡単に言うと機械化した方が早いようなことを手作業をやらされた。嫌だったな〜。
8時間同じ作業をやるのは苦痛である。





4日間倉庫で働いたが、自分には向いていないと思い派遣会社を退職した。
倉庫に従事する人は人間性に難がある人が多く、派遣で働く人もまた然りだと痛く実感できた4日間だった。
オフィスワーカーか在宅勤務の人間になるぞと強く誓うきっかけになったので、社会経験としては良かったかもしれない。
二度とやりません。

好きなものが立て続けに終わってしまった回

今週、好きなものが立て続けに2つ終わってしまい、自分の中である程度区切りがついてしまったので振り返りということで自分語りの記事を書いていきます。ちなみにどちらもオタク・コンテンツです。

エヴァンゲリオンシリーズ

で、出た〜wエヴァのオタク〜w
エヴァのオタクです。どうも。3月8日に新劇場版シリーズの「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開され、映像作品としては再び終劇を迎えたエヴァンゲリオン
かれこれ今に至るまで10年もファンであり続けたので、この機会に振り返ってみます。

2009年7月3日、ヱヴァンゲリオン新劇場版:序のテレビ放送がありました。どういう経緯で観ることにしたのか覚えてませんが、元々インターネットで波乗りをしていたので否応無しに目に入ってきていたものが気になったから観たんじゃないかなと思います。
これが面白かった。まだまだアニメのオタクとしては序の口レベルで深夜アニメすらロクに観ていない生まれたてのオタクがこれを観てしまったのです。
ロボットアニメにも興味がなかったくらいだったので、エヴァの人造人間という設定に燃えたのを覚えています。
特に対第6の使徒戦のヤシマ作戦のシーンはこんな激アツなアニメがあるのかと驚きました。ただ、ふと思って観ただけなので設定なんか何も分からず、放送終了後に調べられる限りエヴァについて検索した記憶があります。

序のテレビ放送翌日は地元で祭があり、屋台の手伝いをしていた地元のチャンネーとエヴァの話で軽く盛り上がりました。チャンネーは元々エヴァのオタクらしく、使徒はみんな生物なんだよとかの設定を事細かに教えてくれました。あんな複雑な動きをする正八面体が生物だなんて!と衝撃を受けた当時のワシ。そりゃもうそのままエヴァのオタクになっちゃいますよ。

同じくエヴァに触れ始めた友人と破を観に行かないかと話しましたが、結局お流れになってしまい、破もテレビ放送を待つことになりました。

破の放送は2011年8月26日。あれ、思ったより最近ですね。ともかく、この頃には既にガチのキモオタになっていたので、放送をワクワクして待っていました。
そんで真希波・マリ・イラストリアスにやられてしまったワケです。オタクは眼鏡っ娘がニーソ履いてれば落ちる。

レンタルだかでテレビ版と旧劇場版を全て観て、コミックも読み進めていたくらいエヴァにはドハマリしちゃいました。サントラやテレビ版の設定資料集も買い漁りました。

2012年11月17日はQの公開日でしたが、友人と観に行く予定だったのを寝坊して行き損ねてしまいました。悲しいなぁ。
ニコニコ動画がQの公開を記念してテレビ版を全話配信をしていたので、それをしっかり追ってました。楽しかったな。

ともあれ、Qも後にレンタルで観ました。

エヴァ好きの友人とは「次のヱヴァは絶対観に行くぞ!」と学校で誓い合いました。次こそは観に行きたい。

後に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」とタイトルが決まった完結編。今まで新劇は「ヱヴァンゲリヲン」表記だったので、最後の最後で元に戻ったのが激アツすぎて公開を今か今かと待ったのが楽しかったです。8年以上も待たされるとはいざ知らず。

この8年間はとにかくテレビ版と旧劇場版を見返し、コミックも完結を見届け、2014年12月の新宿ミラノ座閉館イベントでの旧劇の上映などにも足を運びました。あの作品をスクリーンで観れる体験をできたのは非常によかったです。「気持ち悪い」で終わるのが本当に気持ち悪かった。

エヴァが特撮を元ネタにしていることもあり、元ネタと思われる作品はほとんど観ました。特撮博物館も行ったな。
「これを観ないことにはエヴァは分からんだろうな」と、庵野秀明監督作品もほとんど視聴。結果として「ふしぎの海のナディア」「トップをねらえ!」等のオタクにもなっちゃいました。

そして先日公開の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」。Qから8年も待たされたので、今回ばかりは絶対初日に行って全てを終わらせたると10時20分の回を高校の友人らと観劇。

観る前は「終わったあとは話盛り上がるだろうな!」とか言ってたくせに、劇場を出て喫茶店に入ったところで何も話が出てこず、新しいエヴァを観れた喜びよりも、とうとう全てが終わってしまったという虚無感と庵野秀明やってくれたなオイという気持ちが渦巻いてきて声が出ませんでした。
旧劇を公開当時に劇場で観た人も同じ感想だったんだろうな。

ヤベェものを観てしまったなぁと思いながら、頭の中で整理がつかぬまま午後にもう一回観劇。こちらは以前エヴァを観に行くぞと約束した友人と行きました。8年前の約束を守って公開初日に観に行ったのエモすぎるな。

結局公開初日と2日目で3回観に行ったシン・エヴァ

10年間楽しませてくれた作品の完結を見届けるというのはなかなか心にくるものがありました。

エヴァ関連エピソードはまだまだありますが、結構端折って書いたらなんかにっちもさっちも行かない文章になっちゃいました。文章書くの上手くなりてぇな。

てなわけでこれが終わってしまったものの1つ目。

御伽原江良

御伽原江良、知ってますか?にじさんじに所属していた、YouTubeでの配信業を主としていたバーチャルライバーです。所属していました。3月10日まで。

御伽原江良との出会いは2019年3月8日。新ライバーがデビューするというにじさんじ公式のツイートが目に留まり、先にデビューしていた童田明治と同じママということでちょっと気になるライバーでした。
いままでにじさんじというかVtuber自体あまり追ってなかった(せいぜい月ノ美兎くらい)ので、たまには新しい子も観てみるか、と同10日の初配信を観たのです。
お、月ノ美兎とはまた違うタイプの清楚路線かな?と期待したのも束の間、「知ってましたか?シャンプーって飲み物じゃないんですよ」だの「私ロリコンで」だの、かわいい見た目からわけのわからんパンチラインが飛び出してきて、内心刺激を求めたいたと思う俺はたちまち御伽原江良の虜になってしまいました。江良ちゃんかわいいなぁ。

「おとぎばら」から「ギバラ」という愛称をつけられ、その独特の配信スタイルで着実に人気を伸ばしていった御伽原江良。
同じママを持ついわゆる童話組の3人での配信ではとあるやらかしをしてアーカイブが消えたり、GTA配信では急に地声で配信しだして視聴者をふるいにかけたりと、設定順守のロールプレイを好む視聴者は嫌だろうなと思う行いをしていましたが、これが自分には面白くてしょうがなかったので、気づいたらいわゆる「推し」という存在になっていました。コンテンツとして好き、人として好き、そんな立ち位置になったわけです。自分の中では。

同年4月にはメンバーシップを開始し、今までVtuberにはあまり金をかけていなかった俺もすぐに加入しました。

2019年内はゲームの耐久をよくやっており、何も考えずに観るには最適な配信を提供し続けていました。スプラとかカプヘとか観てて楽しかった。

12月には両国国技館にじさんじのライブがあり、江良ちゃんが3Dで出演するということでこりゃ行くっきゃねえと応募、見事当選したので現地でウリャオイしに行きました。ずっとLive2Dの体だった江良ちゃんが3Dモデルで動いてるのを目の当たりにした時はえらく感激しちゃいました。好きな人の晴れ姿っていいよな。

私事ですが、2019年当時は大学の研究でてんやわんやしていてガチ鬱一歩手前一寸先は闇みたいな状態になっていたので、江良ちゃんの配信がめちゃくちゃ助けになっていました。春あたりにあった相談配信みたいなやつを繰り返し聞いていたくらいは助けてもらってました。江良ちゃんに会ってなかったから俺どうなってたんだろう。

2020年に入ると配信頻度が減り、メンバー限定配信に籠るようになった江良ちゃん。その知名度とファンの数もあって、表で配信しないことに対してある事ない事言われたりもしていましたが、メンバーとして応援してくれている人には元気な姿を見せてくれて、こっちも元気をもらったものです。深夜を中心によく長時間雑談したりゲームしたりしてました。

他のライバーが出しているオタク向けのボイスも滅多に出さず、再販される時は断っていたくらいボイスを嫌がっていたのも他のライバーとのギャップを感じられて面白かったです。

設定上はシンデレラで、お掃除や裁縫が大好きで王子様の迎えを待っている!みたいな人のはずなのに、当の本人があまりにも真逆の人だったのも観ていて面白かった点でした。ただの日常の話でも面白く、話し方というか話のまとめ方が上手いんだなぁとよく思ったものです。

配信が減った代わりに、森中花咲とユニットを組んで毎週ラジオをしたり、声優との番組も持ったりと、にじさんじの顔と言っても差し支えない活躍をしていた御伽原江良。

この楽しい日々もいつかは終わるんだろうなと思いながらも、江良ちゃんならまだ安泰かな〜と思っていた矢先の事です。引退を表明しました。

もうぐるぐる目です。え、引退ってどういうこっちゃよ。今まで通りやってきてたやんか。まぁでも思い返してみると、あれほど嫌がっていたボイスを急に発売したのが伏線だったんでしょうね。

先日の3月10日、丁度デビュー2周年の節目の日に、彼女は引退しました。表での配信のあと最後のメンバー限定配信を行い、23時59分に配信を終了。シンデレラの魔法が解ける0時を前に、インターネットの世界から姿を消したのです。

エラい喪失感。2年間好きで居続けた人が引退してしまうってのはこんなにも悲しいもんなんだな。

フォロワーには「なゆほが抜け殻になっててこっちまで悲しくなっちゃった」だの「何とは言わんが救われてほしい」だの「虚無を抱えていてかわいそう」だの、他人から見ても分かるくらいヘコんでいたみたいです。いや今も絶賛ヘコんでるんですけど。

推しは推せる時に推せとはよく言いますが、本当にそうですね。色々書ききれない部分もありますが、オタクとしての軸をあまり持たないちゃらんぽらんな俺が本気で追うと決めた人がいなくなってしまったわけで、サブの軸とかを持たない自分には今後どうしたらいいのか分からないです。最近ウマ娘を始めたので完全な虚無には至らず済みましたが、危ういところでした。


この2年間楽しませてくれて本当にありがとうございました。お疲れ様です。


というわけで、心の支えを2つ失ったオタクの自分語りでした。長い人生なのでまたのめり込めるくらいのコンテンツに出会うとは思いますが、ひとまずは一段落です。

マジで今後どうしたらいいんだろう。

文字だけ非常口

古いものが好きなわたくし。そんな中、最近気になっている古いものに「文字だけ非常口」と呼ばれるものがあります。

非常口の場所を表すあのピクトグラム、あらゆる場所で目にするので大して気にならない存在なんですが、たまに古い建物に行くとピクトグラムが無いものが設置してあることがあります。

1982年以降は非常口の位置を分かりやすくするためにピクトグラムが制定されましたが、それ以前は文字だけの案内でした。やっぱりこれのマニアもいるようで、専門のホームページもあります。なかなか奥が深いみたいです。

私は特に詳しくないので説明ができませんが、とりあえず今まで撮ってきたものを載せていこうと思います。大まかに分けてゴシック体と明朝体のものがあります。

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地元の居酒屋にて。うーん、古そう。

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熱海市にて。これは比較的目にする印象があります。

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亀山市にて。これは「非常出口」のタイプ。よく分かりませんが、古そう。

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こちらは方向案内のもの。

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並ぶと壮観ですね。

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今は無き、調布駅南口にあった喫茶店「シュベール」のレジ横にあったもの。正面から撮っておくべきだったな〜。

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シュベールを出たすぐの頭上にあったもの。同じ建物なのにタイプが異なるのはどういう事なんでしょう?設置できるスペースの問題があるのは分かるのですが。

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豊島区にて。両側矢印のものです。

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別府市別府タワーにて。かなり古そう。

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熱海市の喫茶店にて。ちょっち文字が細いですね。

案外ポコポコ見つかるものでもないので、これで撮影できてる分は全てです。今後も探してみようと思います。

井の頭線沿いを歩く

こんにちは。

皆さんは徒歩という行為をやった事はありますか?自分の足を使って移動する事を日本ではそう呼ぶみたいです。

今回は、先日なんとなく井の頭線沿いを歩いたバカの記録をお送りいたします。

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11時44分。吉祥寺駅からスタート。ここから渋谷を目指していきます。

とりあえずあまり地図を見ないで直感で渋谷の波動を感じる方向に向かって歩きます。

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11時56分。井の頭公園を抜けるとすぐに井の頭公園駅に着きます。駅間が短い井の頭線、通る道にもよりますが1駅は10分前後で移動できました。

次の三鷹台駅には12時8分着。

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む、レトロちっくな理容室。

12時27分に久我山駅を通過すると、富士見ヶ丘駅まで神田川沿いを歩いていきます。

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10年前、3000系が現役だった頃はよく撮影しに通ってました。懐かしいな。

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途中、やまげん氏に「一杯どう?」と誘われたので昼から飲酒をしました。

途中休憩を挟んで、明大前駅には15時26分着。

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みんな大好き山手急行電鉄の遺構。複々線の用地を確保したのは分かりますが、前後を構造物に挟まれているので本当に山手急行が開通していたらどんな感じで線路が敷かれていたのかいまいち想像がつきません。

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高架化工事でオシャンティーな駅になってしまう明大前。あまり注目されてはないのですが、今では珍しくなった白く四角いデザインをした京王に多く見られた駅舎が残っています。

昔は調布やつつじヶ丘、高幡不動桜上水や永福町も似た駅舎をしていました。

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東松原へ向かう途中の踏切脇で見かけたコアラのアイツ。旧社名「京王帝都電鉄」が堂々書かれていますが、今でもそこそこ残っていますね。

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新代田の手前、掘割の上で見かけた道路の中心に鎮座する木。曰くでもあるのかと思えばそんな感じもしないので、どうして残されてるのか気になります。

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道中特に面白いこともないのでスッ飛ばして神泉駅。気づけば16時56分。

トンネル横のここが今でも昭和っぽくて好きです。

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というわけで17時9分に渋谷駅着。

井の頭線はいつも乗っているだけなので、沿線はどんな感じなんだろうと思って歩いてきたのですが、都内でも開通が遅かった地上線鉄道なだけあってかなり近代的に作られてる路線なんだなと感じました。

たぶんもう二度とやりません。

プラレールのファンサイトが消えていっている問題

ブログやSNSが台頭してくる以前、まだまだ個人サイトが旺盛だった頃にプラレールのファンサイトを巡っていた世代であるワシ。

時の流れによって多くのサイトが潰れていくのを見てきました。サーバーが死んでいくわけです。

最近お世話になっている茶さんのページも先月末で無くなってしまいました。

chachacha表紙

幸いアーカイブがあったのでまだ閲覧は可能ですが、なんか寂しいもんです。


無くなったという報告を茶さんに「ほら、消えてるんですよ」って電車内でスマホを見せて教えることになるとは、子供の頃の自分に教えたらなんて思うでしょうか。

【プラレール】片側架線の違い

架線柱のうち、柱1本で架線を支える片持ちの架線柱のことをプラレールでは「片側架線」と呼んでいました。というのも昔の話で、今では単なる「架線柱」と呼ばれています。


そんな片側架線ですが、1983年の登場以来ほとんど形を変えていません。ただし、よく見てみると初期の製品と現行の製品で少し異なった箇所が見られます。

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右が1983年製、左が2018年製です。成形色が違うのは「それはそう」案件なので、ここでは差異としては扱いません。注目するのは支柱の下部です。

形状が異なるのが分かりますね。現行品は太く改良されています。

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初期の片側架線は「高架橋はしげた」と「(初代)ブロック橋げた」「(初代)ミニ橋脚」「(初代)坂カーブレール」に対応しており、円形の穴が成形されているのが確認できます。

この穴、現行の片側架線は入らない直径になっています。現行品のブロック橋げたの穴は少し太い直径の六角形にされており、架線柱もそれに伴って太くされているのです。

安定性や固定性を考えての改良だと思いますが、注意深く見ていないと気づかないところです。中古で集めた架線柱と橋脚がな〜んか合わねェなと思ったら確認してみましょう。

そんだけです。

うつのみゃあ

とある予定が緊急事態宣言の影響でおポシャりになり、暇と化してしまった1月11日。三重県民なのに東京に住んでるというだけで帰れなくなるんですから、困ったものです。

さてそんなド暇な日と化すはずだった11日ですが、同じく予定がおポシャりになられた寅さんから「宇都宮でチャリ漕がない?漕ぐよね?じゃ籠原の駅前に来てね」と連絡があり、ひっくり返りそうになりながら快速アーバンでドンブラコ。

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こんな表示が見られるんですねぇ。

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いま流行りの感染症対策w

寅さんがそーなんを連れて迎えに来たので車に乗り込み、一路宇都宮へ。

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北関東にはサッパリ縁がないもんで、今回初めて来ました。

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餃子、水餃子、のりたまというわけでございまして...

餃子をシバいたので駅前でチャリを借ります。

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放置自転車を再利用しているというレンタサイクル。最初は東京で見る赤いアイツを想像していましたが、こういうのもアリなんだなと。

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京葉線だ!何してんだい顔色悪くしちゃって!

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宇都宮でチャリ借りて何すんねんと言うと、宇都宮LRTのルートを辿るという往復役20kmのサイクリング。ママチャリでサイクリングも乙なもんです。ほんとに乙か?

寅さんのガイドに従って進んでいきます。

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道路に沿ってせっせと漕いでると橋脚が出現!道路を外れて専用軌道に入る箇所です。

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先行着工区間らしく、かなり急ピッチで工事が進んでいますが、この反対側は田んぼそのまま。予定通り開業できるんでしょうかねぇ?

[追記]なんてことを言ったこの記事の投稿日当日に開業延期が発表されてしまいました。あらら。

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県道を潜った先。まるで何もないです。ここに軌道が通るなんて想像がつきませんね。

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軌道予定地をギコギコと進んでいくとまたまた橋脚が出現。鬼怒川を横断するために橋梁を建設しているところです。

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真新しい橋が出来つつあります。架橋の様子なんてなかなか見る機会もないので新鮮です。

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対岸に渡ると橋はブツ切りになってました。サイクリングコースの真上にまで伸びているのでまじまじと観察できます。

空洞が見えますが、ここにケーブル類を通すんでしょうかね?

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既に完成しているアプローチと建設中の橋脚。この橋脚から前後に伸ばしていくようです。

ここらは専用軌道なのでそのまま辿ることができず、どの道を通るべきかと相談しながら予定線に近づいたり遠ざかったり。

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鬼怒川を渡りきった先の掘割となるところ。随分ゴチャゴチャとした区間を通るみたいですね、このLRT。道路を走ったかと思えば高架を通り、すぐに道路を潜って川を横断し、そのまま掘割へ突入と。

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既に停留所が出来ているところもありました。開業後のイメージが湧いてきますね!

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工業団地に入り、カルビーやデュポンを横目に通る宇都宮LRT。ここでは交差点上を曲がるみたいですが、まだ着工されておらず。

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ムム!住友ベークライトの隣に線路が敷設されているではありませんか!ちょいとテンションが上がる一同。

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さらに進んで行くと立派な停留場ホームが見えてきました。

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まだ線路が敷かれていない路盤を見た寅さん「プラレールじゃん」

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工業団地を抜けたところで線路が終了。この先の芳賀方面はまだ造成中です。

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奥のオレンジの機械から先は全く着工されていないので、辿るのもここまでとして宇都宮駅に引き返すことに。それにしても寒いです。

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チャリを返した後、某所にいた五号機が帰ってきているというので呼び出し。久々にオタククレスタを拝むことができました。

最後は某オートパーラーでうどんを頂きながら、これまたちょうど旅先から帰ってきていた名誉会長さんを交えてしばし談笑。本来の予定が無くなったための代替でしたが、かなり楽しかったです。あぁ脚が痛い。

ちなみに某オートパーラー、ゲーセン区画は喫煙可能でほとんどの台に灰皿があるのに、すぐ隣の一切の仕切りもなしに設置してある飲食スペースは禁煙だそう。飲食できるところでは禁煙!法があるのは存じていますが、なんか腑に落ちないシステムです。強制力がない条例や法って解釈に委ねられるんですねw

例のガレージキット

例の玩具の愛好者には「製品に無い車両は作る」というムーブがあるのは、以前[禁則事項です]の記事でも述べた通り。

産んで増やすにも基本的には仲間内でしか出回らないので、詳細を知らない者の目に留まると「なんだこれは!(岡本太郎)」となりがち。

とまぁ、その例のやつのうちの一つでかなり昔に少量生産された例のやつをを紹介いたします。

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例のやつ、80系のガレージキットです。

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30セットくらいしか作られていないようですが、どういうわけか手元にあります。サフを吹かれた個体です。

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東海型急行電車の車体をベースに作られているので、台車はもちろん東海型対応。

中間車の窓サッシを切り落としてこのセットを塗装しちゃえばアラ不思議80系の完成という、お手軽なガレージキットです。

完成した状態を見てみたいものですが、たぶんずっとこのままなんでしょうな...