プラレールのファンサイトが消えていっている問題

ブログやSNSが台頭してくる以前、まだまだ個人サイトが旺盛だった頃にプラレールのファンサイトを巡っていた世代であるワシ。

時の流れによって多くのサイトが潰れていくのを見てきました。サーバーが死んでいくわけです。

最近お世話になっている茶さんのページも先月末で無くなってしまいました。

chachacha表紙

幸いアーカイブがあったのでまだ閲覧は可能ですが、なんか寂しいもんです。


無くなったという報告を茶さんに「ほら、消えてるんですよ」って電車内でスマホを見せて教えることになるとは、子供の頃の自分に教えたらなんて思うでしょうか。

【プラレール】片側架線の違い

架線柱のうち、柱1本で架線を支える片持ちの架線柱のことをプラレールでは「片側架線」と呼んでいました。というのも昔の話で、今では単なる「架線柱」と呼ばれています。


そんな片側架線ですが、1983年の登場以来ほとんど形を変えていません。ただし、よく見てみると初期の製品と現行の製品で少し異なった箇所が見られます。

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右が1983年製、左が2018年製です。成形色が違うのは「それはそう」案件なので、ここでは差異としては扱いません。注目するのは支柱の下部です。

形状が異なるのが分かりますね。現行品は太く改良されています。

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初期の片側架線は「高架橋はしげた」と「(初代)ブロック橋げた」「(初代)ミニ橋脚」「(初代)坂カーブレール」に対応しており、円形の穴が成形されているのが確認できます。

この穴、現行の片側架線は入らない直径になっています。現行品のブロック橋げたの穴は少し太い直径の六角形にされており、架線柱もそれに伴って太くされているのです。

安定性や固定性を考えての改良だと思いますが、注意深く見ていないと気づかないところです。中古で集めた架線柱と橋脚がな〜んか合わねェなと思ったら確認してみましょう。

そんだけです。

うつのみゃあ

とある予定が緊急事態宣言の影響でおポシャりになり、暇と化してしまった1月11日。三重県民なのに東京に住んでるというだけで帰れなくなるんですから、困ったものです。

さてそんなド暇な日と化すはずだった11日ですが、同じく予定がおポシャりになられた寅さんから「宇都宮でチャリ漕がない?漕ぐよね?じゃ籠原の駅前に来てね」と連絡があり、ひっくり返りそうになりながら快速アーバンでドンブラコ。

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こんな表示が見られるんですねぇ。

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いま流行りの感染症対策w

寅さんがそーなんを連れて迎えに来たので車に乗り込み、一路宇都宮へ。

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北関東にはサッパリ縁がないもんで、今回初めて来ました。

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餃子、水餃子、のりたまというわけでございまして...

餃子をシバいたので駅前でチャリを借ります。

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放置自転車を再利用しているというレンタサイクル。最初は東京で見る赤いアイツを想像していましたが、こういうのもアリなんだなと。

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京葉線だ!何してんだい顔色悪くしちゃって!

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宇都宮でチャリ借りて何すんねんと言うと、宇都宮LRTのルートを辿るという往復役20kmのサイクリング。ママチャリでサイクリングも乙なもんです。ほんとに乙か?

寅さんのガイドに従って進んでいきます。

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道路に沿ってせっせと漕いでると橋脚が出現!道路を外れて専用軌道に入る箇所です。

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先行着工区間らしく、かなり急ピッチで工事が進んでいますが、この反対側は田んぼそのまま。予定通り開業できるんでしょうかねぇ?

[追記]なんてことを言ったこの記事の投稿日当日に開業延期が発表されてしまいました。あらら。

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県道を潜った先。まるで何もないです。ここに軌道が通るなんて想像がつきませんね。

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軌道予定地をギコギコと進んでいくとまたまた橋脚が出現。鬼怒川を横断するために橋梁を建設しているところです。

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真新しい橋が出来つつあります。架橋の様子なんてなかなか見る機会もないので新鮮です。

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対岸に渡ると橋はブツ切りになってました。サイクリングコースの真上にまで伸びているのでまじまじと観察できます。

空洞が見えますが、ここにケーブル類を通すんでしょうかね?

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既に完成しているアプローチと建設中の橋脚。この橋脚から前後に伸ばしていくようです。

ここらは専用軌道なのでそのまま辿ることができず、どの道を通るべきかと相談しながら予定線に近づいたり遠ざかったり。

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鬼怒川を渡りきった先の掘割となるところ。随分ゴチャゴチャとした区間を通るみたいですね、このLRT。道路を走ったかと思えば高架を通り、すぐに道路を潜って川を横断し、そのまま掘割へ突入と。

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既に停留所が出来ているところもありました。開業後のイメージが湧いてきますね!

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工業団地に入り、カルビーやデュポンを横目に通る宇都宮LRT。ここでは交差点上を曲がるみたいですが、まだ着工されておらず。

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ムム!住友ベークライトの隣に線路が敷設されているではありませんか!ちょいとテンションが上がる一同。

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さらに進んで行くと立派な停留場ホームが見えてきました。

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まだ線路が敷かれていない路盤を見た寅さん「プラレールじゃん」

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工業団地を抜けたところで線路が終了。この先の芳賀方面はまだ造成中です。

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奥のオレンジの機械から先は全く着工されていないので、辿るのもここまでとして宇都宮駅に引き返すことに。それにしても寒いです。

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チャリを返した後、某所にいた五号機が帰ってきているというので呼び出し。久々にオタククレスタを拝むことができました。

最後は某オートパーラーでうどんを頂きながら、これまたちょうど旅先から帰ってきていた名誉会長さんを交えてしばし談笑。本来の予定が無くなったための代替でしたが、かなり楽しかったです。あぁ脚が痛い。

ちなみに某オートパーラー、ゲーセン区画は喫煙可能でほとんどの台に灰皿があるのに、すぐ隣の一切の仕切りもなしに設置してある飲食スペースは禁煙だそう。飲食できるところでは禁煙!法があるのは存じていますが、なんか腑に落ちないシステムです。強制力がない条例や法って解釈に委ねられるんですねw

例のガレージキット

例の玩具の愛好者には「製品に無い車両は作る」というムーブがあるのは、以前[禁則事項です]の記事でも述べた通り。

産んで増やすにも基本的には仲間内でしか出回らないので、詳細を知らない者の目に留まると「なんだこれは!(岡本太郎)」となりがち。

とまぁ、その例のやつのうちの一つでかなり昔に少量生産された例のやつをを紹介いたします。

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例のやつ、80系のガレージキットです。

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30セットくらいしか作られていないようですが、どういうわけか手元にあります。サフを吹かれた個体です。

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東海型急行電車の車体をベースに作られているので、台車はもちろん東海型対応。

中間車の窓サッシを切り落としてこのセットを塗装しちゃえばアラ不思議80系の完成という、お手軽なガレージキットです。

完成した状態を見てみたいものですが、たぶんずっとこのままなんでしょうな...

【プラレール】EC01 ひかり号

EC箱。それは1978年から87年頃まで単品用の箱、その通称です。

EC箱が登場する前の電車箱時代の1977年には青い鼻の0系である「ニューひかり号」が発売されました。

nayuho.hatenablog.jp

↑詳しい事はここで。

「ニューひかり号」は1979年頃に絶版、入れ替わりに「ライト付ひかり号」が発売されました。

と、こうまとめてみると「間の1978年にEC箱のニューひかり号があるのでは?」と推測が立つのですが、どういうわけか全く発見されず。

ただ情報はあるわけでして、例えばプラレール博物館さんのEC箱のページには

フィギュア王15号のプラレールの記事の中で、01がニューひかり号(ライト無し)であるとの記述があり

と書かれていたり

茶さんのホームページのリストにも

ニューひかり号|EC01|連結器カバー「青」

とあるのです。じゃああるでしょ、という事なんですが、結論から言うとありました。見つかりました。

ちなみにフィギュア王15号を入手してプラレールに関する記述が無いか探してみたのですが見当たりませんでした。他の号にあるのかも?

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これが長らく発見されてこなかったEC付番のトップナンバー「EC01 ひかり号」です。そう、単なる「ひかり号」なのです。

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凄いぞ!EC01は本当にあったんだ!

以前のニューひかり号の記事では「電車箱の専用箱が無くなったと同時に『ニュー』をつけて旧ひかり号と区別したのでは?」との仮説を立てましたが、立証できませんでした。

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中身はライトが窪んだタイプの青鼻です。「動力車は、反対側に入っています」と親切な注意書き。

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箱の裏面。

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箱が著しく損傷しているのが残念ですが、G-nn付番と片方の蓋が綺麗に残っていたのでホッとしてます。これらが無いと製造年もEC付番も結局不明なままで終わってしまっていました。

てなわけで、EC01はあったよ!というお話でした。

ひかりプラザの951形

11月末、ツイッターで「ひかりプラザの951形が修繕される」との情報が流れてきたので、そんじゃ工事が始まる前に見に行くかという事で行ってきました。

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植木が撤去されて側面が丸見えになっていました。外観をまじまじと見られるのもこの時くらいなのでじっくりと観察します。

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足回りのルーバー。角丸の処理がされていて近未来的なフォルムです。と言っても製造は1969年3月なので、もう51年前の車両になるんですね。もう未来のミの字もないです。

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屋外展示ですがかなり綺麗です。

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ただ、よく見てみると塗装ハゲがありますね。アルミ合金車体なので銀色の地色が見えています。

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さて車内を見ていきましょう。

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ボロボロで修正多数の紹介パネル。90年代感が素晴らしいです。

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15年ほど前までは0系と同様の3列転換シートが置かれていたみたいですが、今は謎の座席が置かれています。なんの車両から持ってきたものなんでしょう?

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さすが新幹線の資料館、年表が掲げられています。って、最新の情報が1994年。E1系は新型車両、リニアはMLU002Nが新記録を樹立したところで時が止まっています。

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もちろん東海道・山陽新幹線の新型車両は300系のままです。

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「新幹線のあゆみ」と称する年表に至っては1993年止まり。ここではまだSTAR21がまだ現役のようです。

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車内の様子。蛍光灯カバーの幅が広いですね。

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展示物は案外濃いもので、951形と961形の記録樹立プレートなどが展示されています。

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ブラウン管。

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再び外に出て前面を撮影。0系よりも鼻が長いので、下から見ると運転台は見えません。

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修繕費用のクラウドファンディングの期間は終了済み。12月1日から来年3月31日まで修繕工事のために休館しているようです。

綺麗になったらまた見に行こうと思います〜。

【改造プラレール】ヨ9000形

プラレールの収集と研究を主とするあくてしですが、たまーに改造もやります。10億年に1両のペースで作っています。

てなわけで2年半くらい前に作った高速度試験車用の車掌車、9000形を紹介します。

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トイレ窓を設けるために窓を一枚埋めます。上手い感じに窓に段差があるのでそこにはまるようにプラ板を切って接着。

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ベンチレーターの配置と数が違うので切除して穴をエポキシパテで埋めます。同時にトイレ窓部分が側面とツライチになるようにパテで段差を解消しました。

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アホみたいに屋根をやすりがけしてサフ吹き。

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パテで埋めるほどでもない小さな穴は瞬間接着剤を盛って処理しました。

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切除したベンチレーターを仮置きしてトイレ窓のモールドとなる角丸のプラ板を接着したところ。

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ドリルでグリグリして穴が拡がってないか?状態になったらそのまま拡張。ようしみる。

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そして青15号で塗装してそこらに転がってた黄色い塗料で帯を入れた後がこちらになります。(プラレール3分クッキング)

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完成後は家畜たちの遊び場になってもらいました。
表記類や細かなディテールもやりたかったんですが、おもちゃなので妥協しました。そう見えれば良いやの精神です。

とは言えカチカチにリアルな改造車も作りたいな〜とは思います。何がいいかな。貨車作りたいんだよな。

東海道新幹線の走行音のレコード

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こんにちは。オタクです。オタクなので色々なものを所有しております。

今日ご紹介するのは、東海道新幹線の音を収録したレコード「日本の鉄道 200km/h 東海道新幹線」です。

古いものが好きで鉄道も好き、レコードも好きで昭和の日本ではどのような環境音が聴けたのかなど非常に興味のある分野が1枚に凝縮されたようなこのレコード、見つけたその瞬間に購入を決意しちゃいました。

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収録されているのは1966年4月23・25日に東京駅と小田原駅で録音された音。裏面に解説文が載っているので以下に引用します。

夢の超特急と待望されていた東海道新幹線も開通してもう1年半以上を経過し、すっかり板についてしまった感じである。ことに昭和40年11月からは東京-新大阪間3時間10分運転が実現し、1日55往復のほか臨時列車も多数運転されて、東京駅のホームは空っぽになる時がほとんどなく、目下16番線が増線工事中で発着線が4線になろうとしている。
見なれているものものも気づかないうちに、刻々とその姿を変え、いつの間にか思い出のかなたに消えて、新しいものも、その姿を保っていることがまずない。開通当時あった昼間の静寂はもう見られない。
その意味で新幹線なども、いわゆる鉄道マニアのためばかりでなく広く一般を対照として、今記録しておくごとが、あとになって思わぬ喜びになるであろう。

録音から54年、正にここに喜んでいる人がいます。本当にありがとうございました。

東海道新幹線は開通前後は非常に盛り上がったようで、未だにテレビで新幹線の話題が出るととりあえず東京駅での開業セレモニーのモノクロ映像が流れるイメージがありますが、翌年翌々年以降の資料はこれっぽっちも出てきません。また話題に上がるのは1970年の大阪万博開催に伴う大量輸送や1972年の岡山延伸くらいのものでしょう。

開通後から万博までの間、つまり夢の超特急が夢では無くなった世界というのは、もう進んで記録するものでは無くなっていたと思います。

そんな中で発売されたのがこのレコード。解説文の通り、1966年当時すっかり板についてしまった東海道新幹線。東京駅を毎時2本、ひかりとこだまが交互に出ていてそれ以外の時間は東京駅なのに静寂に包まれていた場所が、ほんの1年半で増発が繰り返されスピードも上がり更には増線工事までしているという、目まぐるしい成長が伺えます。

計画発表当初は世界三大馬鹿だのなんだの言われた高速鉄道も蓋を開けたら大成功を収めたわけです。

で、具体的に何が録音されているのかを同じく解説文から引用します。

A面
1. 東京駅新幹線ホームは16番線の増設工事の最中でなんとなくざわついている。発車のアナウンス、ベル、タイフォーン、ドアが閉まる。19番線から「ひかり19号」がすべるように発車していく。 非常に軽快に見えるが実質的には定員乗車で1両が約60tもあるので、ずっしりとした重量感が録音されている。
2. 到着を告げるアナウンスがすむと「ひかり19号」の発車した後の19番線に11:00定時に「ひかり6号」が到着する。
3. 小田原駅新幹線下りホーム。駅のアナウンスのなかを14:47「こだま361号」名古屋行が到着。ドアが開く。発車のベル、ドアが閉まる。発車。パンタのすれる音。遠のいて行くと見送人の下駄の音が階段をおりて行く。
B面
1. 小田原駅通過の「ひかり25号」。まったく一瞬間、ヒューッと飛ぶように通過して行く。
2. 150mほど先に見えるトンネルでトンネル警報(電車の接近を知らせる)が鳴り始める。近くの中学校の騒音、自動車のクラクション、すぐ下の線をゆく小田急HE車の警笛や渡り線での車輪のきしりがはいった瞬間、「ひかり24号」が通過。
3. 11:00に熱海を出た「こだま111号」は新丹那トンネルの中で上り「こだま352号」とすれ違う。トンネルを2/3ほども過ぎたころか、光の玉が近ずいたと見る間にピューッピュッピュッと時速200kmどうしのすれちがい。これは「ひかり111号」の運転室での録音である。
4. 小田原-熱海間における「こだま111号」のビュッフェにおけるスナップ。
5. 「こだま114号」の2等客車内。静岡-熱海間で採録。無味にも近い変哲のない音、これが新幹線だ。

A面の1トラック目から既に激ヤバな資料。当時の東京駅でどのような音が流れていたのかが鮮明に記録されていて素晴らしいの一言です。発車ベルとは別にウエストミンスターの鐘が入っているのが気になります。当時のダイヤは1965年11月1日改正、1966年3月10日修正のもので、ひかり19号は11時00分発。毎時00分に時報として流していたのでしょうか?

2トラック目はひかり6号の到着。19号が出たホームに入れ替わりで到着しているようです。当時の時刻表が見たいですね。

3トラック目、小田原にてこだま361号の発着。こだま361号は3月10日から設定された東京駅14時5分発の臨時列車です。1966年時点で00分発ひかりの5分後にこだまが出ているあたり、既に現在のダイヤの原型が出来上がりつつある様子が見て取れます。

B面1トラック目。エラい轟音でした。音だけで伝わる0系12両編成の重量感は半端じゃないです。

2トラック目も通過音。トンネル警報の音が入っているのが高評価ポイント。こういった些細な音まで入っているのが記録レコードの醍醐味です。

3トラック目も迫力満点。綺麗にすれ違う時の音が入ってます。窓開けてたんですかね?また、「光の玉が近ずいた」というのは当時まだアクリル光前頭を装着していた編成が残っていた事の証拠でしょう。前照灯の間にぼんやり光る光前頭、トンネル内ですれ違う時は文面通り「光の玉」に見えた事でしょう。

4トラック目、どういう着眼点だよと思うビュッフェでの環境音。コーヒーカップのカチャカチャした音と乗客の微かな雑談が記録されていました。今の新幹線からは失われた音です。

最後の5トラック目は2等客室、今の普通車での様子。こればかりは今ののぞみに乗っている時となんら変わらない気がします。


というわけで、ただの「音」を記録したレコードですが、臨場感あり迫力ありで新幹線が好きなオタクなら聴くべきなんじゃないかなと思う内容でした。

この他に走行音を記録した「新幹線 ひかり 19A」というレコードも探しているのですが、全然出て来ず。いつか手に入れたいものです。



余談ですが、この音の収録日である4月25日にひかり42号が車軸を折る事故を起こしてます。