ビジネス特急「こだま号」運行開始記念の記念ピースを入手!

数年前からちまちまと昔のタバコのパッケージを集めています。「記念たばこ」という文化が失われてて30年以上、昔のコレクターが放出したものがよく出回るようになり、珍しいものも収集しやすくなってきました。
地域限定・期間限定発売が基本の記念たばこ。昔の喫煙率の高さからその生産数も多く、多いものでは全国販売で1億個、地域限定でも数十万〜数千万個が生産されているものがあります。出回った際の相場も、何種類も集めた100枚単位の束で1万円とか、珍しいものでも1枚数百円とか、そんなもんです。

しかし、その中でも超が付く入手困難品がありました。無料配布の記念たばこです。

それが「ビジネス特急「こだま」号記念」のピース。1958年11月1日に東海道本線の特急「こだま」が運行を開始した事を記念して、当日の車内で国鉄が乗客に配布したものです。
第1・第2こだまの4往復で配布され、モハ20系(151系)1編成の定員424人×4往復分となる2,000個が用意されました。仮に乗客全員に配布したとしても約300個が余るため、他の国鉄関係者や翌日の列車内でも配布されたと思われますが、このあたりの詳しい話は残っていません。

約65年前に配布されたこの記念ピース。しかも2,000個。そもそもの入手方法が特殊なため、コレクションとして流通している数も少なく、なかなか出回りません。

一度は現物を見ておきたい...と思っていた矢先、2022年5月28日から7月3日にかけて「たばこと塩の博物館」にて企画展「パッケージで時間旅行」が開催されました。

記念たばこのパッケージをコラージュしたキービジュアルに「こだま号」がありました。これは現物が展示されるという事では!?と思い、行って来ました。

ありました。さすが博物館です。

交通系記念たばこの一部としての展示でした。

現物をこの目で見れたとは言え、やはり手元に欲しいもの。一番簡単な入手方法と言えば某クションなので、来る日も来る日も血眼で張り付いていました。しかし待てど暮らせど現れず。いくつ現存しているかすらも分からない代物なので、いつか出てきてくれたらいいなと思いながら過ごしていたのですが、昨年11月に案外すんなり現れました。

というわけで入手!!!!!!!!!!!!!!!
お値段はわりと張りました。仕方ないね。


▲特別意匠たばこ包装集/▼記念・観光たばこデザイン①(2枚とも)

「特別意匠たばこ包装集」では記念たばこ扱いでしたが、再販版となる「記念・観光たばこデザイン①」では「特殊記念たばこ」に分類されています。
前者では1万本(5本入なので個数で言えば2万個)生産となっていますがこれはおそらく誤記で、後者の0.2万個(2,000個)が正しいと思われます。
発売年月日も昭和33年10月1日となっていますが、これは国鉄ダイヤ改正に合わせて専売公社が納入・発売した日付と思われ、実際には前述の通り運行開始日の11月1日に配布されています。

写真立てを買って飾ってみました。



珍しい記念たばこのお話でした。

ふしぎな0系新幹線のサボを発見、そしてサボにまつわるお話

鉄道のオタクなら、東海道新幹線の開業時は列車の種別・行先表示に方向幕ではなくサボを使っていたという話を存じている人も多いのではないだろうか。

東海道新幹線は、その無機質さや車両の面白みの無さなどから、開業前の盛り上がりを除けば全く鉄道のオタクの趣味対象にはなっていなかった過去がある。
岡山・博多への延伸が行われ、0系を0系で置き換えるようになった1970年代から徐々に編成の組成がややこしくなり、1985年には100系がデビュー、90年代をピークに多くの系列が走るようになり、過去を振り返るフェーズになると新幹線も立派な趣味対象へと昇華。2020年に700系が引退すると走る車両はN700A・N700Sだけとなり、1960〜70年代のなんの面白みもない状態に逆戻りした感のある東海道新幹線だが、先述のこともあり趣味対象としては一定の地位を得ている様子である。

既存の技術をただ使っただけであると同時に、全く新しい鉄道システムである新幹線鉄道。幸いなことに開業前から膨大な資料が世に放出されている。
その中でも、何故かあまり資料が残っていないものが一つある。サボである。いにしえの昔から使われている、行先表示をする鉄の板。

開業当時の新幹線は列車本数も少なく、東京〜新大阪間を往復するだけで列車パターンも単調。在来線の特急車両では当時すでに方向幕の整備が始まっていたが、先の理由により幕ではなくサボが採用された。
超特急ひかりは黄色地に赤文字、特急こだまは白地に青文字と、後年の方向幕と似た配色となった。

しかし、200km/h以上で走る新幹線である。風圧によりサボは浮き上がり、サボ受けから脱落、そして駅や車両基地では盗難にも遭う。正直いちいち12両全部のサボを取り替えるのもダルい。早くも両先頭車のみへの装着となり、そして1972年、岡山延伸により運行パターンも複雑になったため、結局サボ自体が廃止された。サボ受けも3次車以降の増備車からは順次取り付けられなくなり、方向幕も装備されて後年の0系新幹線の姿となった。

使われなくなったサボは、捨てられたり売られたり、一応保管されたりしてなんだかんだ現存しているものが多い。

今でもたまに廃品発売やコレクション放出で出回る事があるが、99.9%は営業時に装着していたものだ。
だがつい最近、ギョッとするものが現れた。

これだ✍️(ベストハウス1・2・3)


「特急124列車 東京行」「特急101列車 新大阪行」が1枚になった0系のサボだ。

おお、珍しい。「こだま」のサボか。そう思って一度はスルーしたが、なんとなく見返した時に驚愕した。これは「こだま」ではない。「特急」のサボだ。しかも「号」ではなく「列車」とある。これはまさか...

東海道新幹線の列車名が決まったのは1964年7月7日。公募により、超特急を「ひかり」、特急を「こだま」と命名した。
開業の3ヶ月前に決まったのである。「ひかり」「こだま」のサボが作られたのはそれ以降となる。

しかし、サボが装着される0系量産車はもちろん7月以前から試運転を繰り返している。当然、サボ受けも搬入時から設置済み。つまり、サボのサイズは0系の設計時から決まっており、サボ自体も車両と同時並行で作られていたはずだ。今回見つかったサボは、開業に際して用意されたもののお蔵入りになったものという事であろう。

一つ確実に言えるのは、1964年7月7日以前に作られたサボであるということ。しかし、新幹線の列車名を「◯◯◯列車」とする予定だったという話は、なかなか出てこない。開業前に国鉄内部で決まった話だからである。

こうなってくると、何か情報がないかと探してみたくなるのがオタクというもの。

ということで、所蔵する新幹線関連の書籍をひっくり返してサボに関する記述を探してみることにした。同時に交友社がサービスを提供している「鉄道ファン図書館」も利用していく。

その前に、量産車の搬入から試運転に至るまでの過程を調べてみる。

鉄道ファン1964年4月号の6Pに搬入の様子の記事があるので引用する。以下の記事は同年2月の話である。

新幹線の走るまで 23
量産車鴨宮へお輿入れ

日本車輌の構内での試運転を終った6両は, それぞれ2両ずつ3回にわけて鴨宮のモデル線管理区へ回送された。まず15日に22-1と25-2が, 19日に21-1と26-1が, 最後は24日に16-1と35-1がそれぞれ特別列車で品鶴線経由で運ばれた.

この時搬入されたのが、いまでは京都鉄道博物館で保存されている0系、C編成の22-1以下6両だ。
あくまで搬入レポートであるため、この号には試運転の様子はまだ載っていない。もしサボを装着した写真があるとしたら以降の号となるだろう。

次の号、鉄道ファン1964年5月号の6P「新幹線の走るまで 24 量産旅客電車誌上見学」の見出しに、サボを装着してキリッと写るC編成の写真がある。
3月1日に初めて低速で本線走行を行い、3月2日以降から本格的に試運転を始めたとの記述がある。

そして、探していたものが案外あっさり見つかった。

同号8Pの写真11に、C編成2号車26-1が特急 001列車 新大阪行のサボを装着している様子がはっきりと写っていた。
しかしサボに関する記述はなく、その後は内装の写真となり節が終わる。

どこかにサボ、あるいは行先表示や列車名に関する記述はないか、他の号も漁ってみることにした。

鉄道ピクトリアル1964年5月号にも、17Pに鉄道ファン1964年5月号と同じタイミングで撮ったであろう写真が、パンタグラフについての節で掲載されている。

鉄道ファン6〜9月号に鴨宮モデル線や量産車の試運転、全線試運転、駅の建設などの記述があったが、サボを装着している写真は見つからなかった。列車名やサボに関する記述も無い。

列車名が決定したのが7月7日であるから、流石に10月号あたりなら何かそういった話が載っているのではないかと探してみたところ、やはり見つかった。鉄道ファン1964年10月号14Pより引用する。

新幹線列車の愛称きまる

世界一の高速列車の名前は......?レールファンのみならず多くの人々の関心を集めていた新幹線列車の愛称が去る7月7日に決まつた. はじめは愛称名はつけないはずであったが, 乗客の利便を考慮し, また広く国民の感心をよび起こす意味から公募にふみきったもの.
6月13日以降, 新聞・テレビ・ラジオ・ポスターなどで募集した結果, "こだま"のときの約3倍, 558,882通の応募があり, 遠くインド, 台湾などから寄せられたものもあって, 予想外の好成績に関係者一同大喜びであった.
愛称名の種類は780にも及び, 鉄人, アトム, オリンピアなど世相を反映したもの, メダカ, ナルちゃん, ゲイシヤ, カァちやん, などふざけたものも散見されたが, スピードを象徴するものとして光速の代表 "ひかり", 音速の代表 "こだま" がそれぞれ超特急・特急の愛称に選ばれた. 超特急は下りがひかり1〜ひかり97, 上りがひかり2〜ひかり97, 特急は下りがこだま101〜297, 上りがこだま102〜298というようになる. なお区間列車は300代, 不定期・臨時は400代の列車番号になる予定.

列車名決定の記事だ。しかし「◯◯◯列車」とする予定だった、というような記述はなく、あくまで「元々愛称は付けないつもりだった」程度しか書かれていない。

「ひかり」「こだま」の愛称は瞬く間に定着し、鉄道趣味雑誌でも愛称決定前の話なんて忘れ去られていたようだ。
試運転中にサボを装着していた話や、「◯◯◯列車」という列車名に関する話が出てくるとなれば、後年に発行された振り返り系の書籍になるだろうか。
ということで「新幹線十年史(1975 日本国有鉄道新幹線総局 社団法人交通文化振興財団)」を読んでみる。
約800Pに及ぶ分厚い本であるが、行先表示に関するものは以下のものが見つかった程度だった。

454P

第7章 設備および車両の更新

第13・14・15次車
(略)
ア 博多開業関連対策
(略)
行先・座席(自由席・指定席)表示器を取り付けた。
(略)

一応ではあるが、13次車からは既に廃止されていたサボに代わり、行先表示器を設置した旨がこのように書かれていた。
分厚い本であるが、開業から10年間の話をあらゆる面からまとめた本であるためか、開業前の列車名決定前後に関する記述は見当たらなかった。
ちなみに副産物として、黛敏郎作曲の車内チャイム、いわゆる「黛チャイム」の採用期間が1968年9月1日から1972年3月14日までだと分かった。

新幹線が開業15周年を迎え、鉄道ファン1979年12月号・1980年1月号の2号に渡り特集が組まれた。
1980年1月号の15Pには、なんの偶然か「特急こだま 101号 新大阪行」のサボを装着した「こだま101号」のモノクロ写真が掲載されている。今回取り上げている、件のサボの後の姿と言えよう。
30周年を迎えて特集が組まれた、鉄道ファン1994年11月号の16Pにも別カットであるが「こだま101号」のサボのカラー写真が掲載されており、こちらは1964年10月1日(開業日)の撮影。おそらく1980年1月号のものと同日の撮影だと思われる。
40周年特集の2004年10月号69Pには「ひかり1号」「こだま109号」のサボのカラー写真が掲載されているが、ここでも「初期はサボだった」程度しか書かれれていない。

さて、こうなるともっと後年の書籍を漁るしかなさそうだ。
ありそうなのは0系新幹線が引退した2008年に発行された趣味雑誌。鉄道ファン2008年11月号を読んでみると、22Pに「新幹線の列車名・列車愛称のこと」として、先述の内容が記載されていた。また23Pには、1964年7月撮影のカラー写真でサボを装着したC編成がK3編成に牽引(!)されて回送されている様子が載っている。
25Pには

また当初は, 列車種別・行先・座席指定などのサボがこまめに使用されていた.

26Pの3次車増備についての節には

またクリーム色で目立つ列車番号・行先札差しは, 中間車は使われないため全廃して先頭車のみとし, 各車は座席表示と号車札差しなどに変更された。

とあり、1965年の増備車から早速サボがほぼ用済み扱いになっている事が伺える。
次の27Pには、1964年3月撮影の16-1がサボを装着している写真が載っており、これは鉄道ファン1964年5月号8Pのものと同日かそれ前後の撮影のものと思われる。
以降は1000番台・2000番台小窓車の解説となる。

次に、東海道新幹線開業50周年を迎えた2014年に刊行された鉄道ファンを漁る。鉄道ファン2014年11月号9Pには、鉄道博物館に収蔵されたばかりの21-2の特集でサボについての記述があるが、内容としては前述したものとほぼ同じことが書かれていた。
17Pには、1963年3月に撮影された、1000形B編成を使った行先表示のテストを行なっている様子の写真が掲載されている。種別・列車名・行先を個別に用意したものが車体に貼られているもので、「特急」「555列車」「東京←→新大阪」の文字が見える。この時点で既に列車名は「◯◯◯列車」でやろうとしていた事が分かる貴重な写真だ。
同様の写真が1979年12月号にも掲載されているものの、別カットと見られる。

他の鉄道ピクトリアルの号も漁ったり、「『証言』東海道新幹線(2014 イカロス出版)」「東海道新幹線 1964 〜夢の超特急誕生前夜〜 (2015 交通新聞社)」も読み漁ったが、愛称決定以前の列車名についてや、サボ自体についての記述は見つけられなかった。ここまで漁ってほとんど情報がないとなると、サボや列車愛称自体は正直どうでもいい話として処理されている節があるように思える。実際、別に資料としては良いものではあるが、価値としてはそれ以上もそれ以下もない代物であるわけだ。

「◯◯◯列車」と名付けて運行するつもりだったという話を以前どこかで見かけた気がしたが、今回は見つからなかったので引き続き調査して判り次第追記したいと思う。




長文を書いたくせに何も分からずに終わるクソまとめサイトみたいになってしまった。

【告知】鉄道ホビダスさんでプラレールの記事を連載中です

遅い告知になりました。

鉄道ファンの方々ならみんながご存知であろう、ネコ・パブリッシングが運営してる鉄道ホビダスさんの特集・コラム欄で、昨年の10月からプラレールに関する記事を連載しています。

rail.hobidas.com

なんとプラレール資料館 鉄ホビ分室という副題まで付けさせていただいてます。

こんな感じです。
自分なりに書きたいテーマをチョイスしているのでかなりマニアックな内容になっていますが、鉄オタならニヤッとしてしまうような内容を目指しています。公開日は毎月第一・第三金曜日。

連載中の記事のほかにも、鉄道ホビダスさんが書いているプラレールの記事もなかなか読み応えがあるのでそちらもオススメです。

よろしければご覧くださいまし。

関西に電車を撮りに行ったら車両故障に巻き込まれた回

お久しぶりです。10月は丸々三重の実家に帰省していました。
ド田舎に住んでいるので休日の娯楽がインターネットくらいしかなく、大変お暇を弄び申し上げている状態だったので、今回もまたいつものごとく大阪京都あたりの列車を撮りに出かけました。

10月10日の月曜日。祝日です。大阪で撮りたいものがあるので、近鉄で難波まで出ます。

お、プラレールで見た事ある電車だ。せっかくなのでプレミアムシートに乗りました。

津から乗って朝早い上に天気も微妙な青山の中を抜け、電車と一体化して無限になっていたら難波に到着。プレミアムシート車は終点に着く時に照明が真っ青になり到着を教えてくれます。N700Sみたいに照明を明るくするならまだ分かりますが、なんで青なんだろう。

阪堺電車恵比須町に向かいます。これはオタクがよく写真を撮ってTwitterに載せているブチギレてるような名前の商業施設「なんなん」。

うーむ、さすが大阪と言った感じの光景。

さて、阪堺電車に来たのはこちらの電車に乗るため。前日に「大阪行くど!」と言ったら大阪のオタクから「阪堺電車で古いの走るで」と教えて頂いたので来た次第です。ありがとうオタク。
レトロ好きで鉄道のオタクなのでこういった古い電車が大好物。この時走っていたのはモ161形のモ116号、昭和3年製です。

沿線で撮るのも考えましたが、初めて乗る路線なので撮影地もよく分からず、とりあえずは走行音を聞きながら乗りたかったので終点の浜寺駅前まで乗車。
折り返し待ちの際にたくさん撮って笑顔になりました。

車体から独立したライトがまさに昭和前期の車両といった佇まい。萌えますね〜。

終点まで乗ってしまったらもう追いかける事もできないので、天王寺駅前まで乗り通すことに。車内の配色がベリーグッドです。

順調に進み、北畠を発車。あともう少しで天王寺駅前...というところで。

「バコーーーーン!!!!!!!!!」

車内に轟音が響き、停車。あちゃー、車にぶつかったかな。道路上の区間だしなぁ。と思っていたら、どうも様子がおかしい。
というのも、車にぶつかったら感じる衝撃がなく、ただ急に止まっただけだったのです。

運転士「電車が動かなくなったので、一旦電源落として入れ直します」

車両故障でした。古い車両だからこういう事もあるんだなぁと。

乗っている路面電車が道路上でパンタグラフを下ろして再起動を試みる場面に遭遇することに。ぼんやり灯る非常灯も趣がありますね。
後続の車両が迫ってきて、徐々に渋滞し始めました。モ166の運転士は後続の運転士と共になんやら作業をしていましたが、どうやら動かない様子。

「ここで運転を打ち切って次の停留所まで後ろの電車に押してもらうので、着いたら皆さん降りて乗り換えください」とのアナウンス。

無電源状態のモ166を後続のモ603がゴロゴロと押し、北天下茶屋に到着。係員がドアを開け、全員降車。

路面電車同士の連結は初めて見ました。こんな棒で連結するんですね。
折り返す事ができないため、モ603も回送となりモ161を天王寺駅前まで推進回送。しばらく留置される模様です。

続いてやってきたモ705に乗り換え、とりあえず目的地の天王寺に向かおうと思ったのですが、おそらくモ161が車庫に回送されるであろうと思い手前の阿倍野で下車。
前を走る列車が無電源車両の推進回送なので、かなりのノロノロ運転でした。

阿倍野のアーケードからしばらく眺めていても来る車両は全て営業車。天王寺で客を降ろしたら臨時回送として発車していくのかな〜と思いながら見ていましたが、そんなこともなく来る電車は全てそのまま折り返し。
モ603も天王寺でモ161を切り離したら営業に入り返っていきました。

しばらく動きが無さそうだし休憩すっかと「純喫茶スワン」に入店。アイスコーヒーを頼んで一服しているとオタクから入電がありました。

「今すぐ店出ろ!エラいのがそっち向かってるぞ!」

何事かと思いつつも一瞬でコーヒーを飲み干し、滞在時間10分でお会計。結構良さげなお店だったんですが、ゆっくり出来なかったのでここは再訪しなきゃなと惜しみながら店を後にしました。

すると...

えぇ...
試運転幕のモ164が救援としてやってきました。古い車両を古い車両で助けるのか(困惑)

5分ほどして、モ164がモ166を牽引して出発。我孫子道の車庫に収容されたようです。
調べられる限りでは、最近あったモ161形の重連は2016年の天王寺前線路切り替え試運転が最後の模様。日中の写真は探しても出てこなかったので、かなりレアな光景を見る事ができたみたいです。

回送を見送ったので、京都に向かうこととします。

谷町線、お初です。阿倍野天満橋と移動し、京阪で京都に出ます。

今回は京都駅をスルーします。

ばいしょうろみやこみやこさい...?に来ました!

そう、この日は京都鉄道博物館に収蔵されたマイテ49 2がSLスチーム号の客車として走っている日。走行が終わったらもう走るところを見る機会は無いのではないかと思い、見に来たのでした。

ノコノコと扇形車庫の方に向かおうとしたら0系ビュッフェ車の車内公開が行われていたので見学。
この温かみのない無機質な感じのビュッフェ、最高ですね。ここでコーヒーを飲んだり喫煙したりしてみたかったものです。

「夢の超特急ふたたび」のポスターがまだ残っていて驚き。0系の復刻塗装と引退もつい最近のことに思えますが、もう14年前の出来事になるんですよね。

館内に入り、581系・489系とそれぞれがデザインされたハイライトの箱で記念撮影。これを撮るためだけにわざわざ持ってきました。

さてさて、メインイベントであるDE10 1118牽引のSL... ではなく、DLスチーム号。機関車次位にマイテが連結されています。

天候が微妙で雨が降ったり止んだりする中、この日分のスチーム号の営業終了を見届けてDE10の入庫を観察。

切り離されたマイテと12系はしばらくホームのある位置で留置されていました。

お顔が綺麗に見えるようになったのでしばし観察。展望室のあるロビー部分の窓が大きく、さすが一等車といういでたちです。

この日はちょうど関西プラレーラー御一行も京都鉄博を訪れており、館内でばったり会うという場面も。自分は関東の人間なので「事前に会おうとも言ってないのに京都で偶然会うことなんてあるか?」みたいな空気になりました。

京都鉄博を後にして、この日のシメは時雨さんとMinamiさんと飲酒。

京都のお酒を嗜みました。チャンチャン。

第8回 鉄道模型広場 in ルミエール府中

去る2022年5月4・5日、例年5月と10月に開催されている巨大運転会「鉄道模型広場 in ルミエール府中」が行われました。その様子をお伝えいたします。

世界的な例のアレの流行により、2020年から2021年5月までは休止していた府中運転会。昨年10月に再開され、今年も無事に開催される運びとなりました。早速設営日から見ていきましょう。

資材輸送は1000番台さんに手伝っていただき、車にギッチギチに資材を詰め込んでルミエール府中に到着。先に会場に着いていた設営参加者と協力して荷下ろしを行い、自分のブース前に置かれたところで一枚撮影。
今回は前回と異なり全日参加でき、今まであまり使っていなかった敷き布も用意して準備万端。しかも自分としては珍しくレイアウト案も考えてるときたもんだ。やるぞやるぞ〜。

複線の外周の中に「てんてつき」をふんだんに使った斜め車庫を配置し、トレインケースを使ったひな壇を設ける想定で設営を進めていきます。わぐちん、やはっち、ともさんに手伝ってもらいました。
右上にいるのはプラレールのすべてを立ち読みする銀嶺。

ともさんが「こんなのも持ってきたんですけど」と取り出したのは、なんとあの伝説の情景部品セット「いろいろ情景いっぱいセット」のリアルカラー跨線橋&信号所!
早速駅を組んでニッコリです。

レイアウト案構想時に「昔のセット品の写真みたいな組まない?」と提案してくれたやはっちの手により、レイアウト内側にが造成されました。
内周の方は歴代の橋梁を使った欲張り鉄橋ゾーン。
おや、トレインケースの上にあやしい箱が...

ある程度設営が済んだら試運転。車両はなんでもいいので異次元列車を出しましたが、飛んでいかないか心配でした。

おーっと!またまた姿を見せましたね!これはですね... お、こんな時間に呼び鈴が。誰だろう。

自分のブースの整理が終わったら他のブースを周回。
まずは福遠ゾーンを興味深く見ていたら「こうやってレールの間に木の棒を敷くじゃん、で軌陸車置くじゃん、お〜」と福遠がまさに好きそうなことをやってニッコニコ。
京王でいま話題の高架化工事の再現です。

そして上の方にチラ見えしていたのは東京競馬場。いまアツいですからね。競馬。
というかこういうネタが入ってくるようになったあたりに主要メンバーの高齢化が見られます。

黒江さんのゾーンではスーパーレールの試運転中。EF66ブルートレインがかっこよく走ってるぞ!と思ったら客車の連結が外れ、カラ馬と化したEF66が一周して衝突。
紀伊」「言うなよ」

池谷ブースに目を向けると... おおっ!7000系デビュー時仕様だ!津島くんの作品です。かっこいいなぁ。

そういえば自分のブースを撮ってないやと思い一枚。製品・改造品・旧製品・現行品・国内品・海外品なんでもドンと来い!のスタンスでいたらエラい事になりました...

砂川ブースへ。今年が鉄道150周年の節目の年なので、知る人ぞ知る側面イラスト本「陸蒸気からひかりまで」をオマージュした「陸蒸気からリニアまで」がテーマの展示となっています。
当の砂川軍団は設営開始後しばらくしても到着せず、ブースがスカスカでしたが設計図を持ってきたことで軍団到着後は1時間で設営完了。度肝を抜かれました。

設営終了後は各々解散。腹が減ったのはiwatetuと六郷を誘って府中駅前にある「紅」でラーメンをボコボコにしました。

以下は公開日。

なんとなんと、今回は「第二会場」が登場。ルミエール府中でよく開かれているHOゲージの運転会「七宮会」が電撃参加です。

壁!パネルステーションを盛り込んでマジで良い(語彙力低下)
あ、高架下に資材を置きっぱなしにしてる人がいますよ!全くも〜!

あ、もしもし、ポット交番車セットですか。ええ、うちのブースに不審車が入り込んでまして。特徴、えー特徴、はい、えー白い車体に、えー青い帯で...

七宮会にお邪魔するとちょうど京王8000系が入線中。1992年頃の光景ですね。

競馬要素(放牧)
手前の松の木は[禁則事項です]。

1回目のナイトモードではライト付えきが大活躍。ただ他のゾーンと比べるとナイトモード映えがあまりしなかったので、次回は電飾を導入したいと思います。

お昼頃には大御所である某大物編集者のY様、そしてベテラン改造プラレーラーの松電様がいらっしゃり、お話を聞いたり20年モノの改造車を拝んだりしました。

うっひゃあ... プラレールのすべてに掲載されている車両の本物ですよ。

再びナイトモード。京急Pゾーンでは府中周辺の路線が再現されています。手前には交通遊園も!

福遠ゾーンに目をやるとセムの長編成が走っていて驚愕。これトミカのセットに1両しか付いてこない車両なんですけど、こんな集められるのは只者ではないですよ。

初日は17時で閉場。夜は京急Pと博麗に家まで送ってもらいました。

以下、二日目。

まだ人が少ない9時台前半、放送室から全体像を撮影。こう見ると本当に巨大な運転会なんだなと感じます。

これは天王寺おもちゃ屋で見つかったらしいです。知らんけど。

池谷ゾーン。細部に目を凝らすとネタが散りばめられている素晴らしいトミカタウンです。永山〜多摩センターがイメージのようで、奥に京王線小田急線が並走する区間があります。

京王線の並びを見て笑顔になりました。

こちら砂川ゾーン。砂川高輪築堤が再現された区間があって勝手に盛り上がってました。

二日目は15時で公開終了。そして撤収。えちごやさんに資材撤収を、資材返却はともさんとsetunaさんに手伝っていただきました。ありがとうございました。

スシ。

寿司。

ファンタ。

2016年12月に始まった府中運転会。今回は当時の運転会レポートを読んだ人もいるであろう10代の新規参加者が大勢おり、まだまだプラレール界も明るいなと思った20代半ばのワシでした。
話してみるとジェネレーションギャップを感じる部分が多く、まだ歳近いじゃ〜ん!と思ってたんですがそうでもないことを実感。厳しいねスタンプ。ともかく皆様の今後に大期待です。マジで。

今年10月の開催分はルミエール府中の耐震補強工事によって休止です。次回開催の第9回は来年5月になります。

第7回 鉄道模型広場 in ルミエール府中

府中運転会も終わったし、ブログ書くぞ〜!と思い編集ページを開いたとき、ふと「あれ?第7回のこと書いてないのでは?」と気づき、いま書き始めたところです。アホ。

というわけで時に2021年10月8日。設営日。資材提供者と設営参加者が集まって「ふちゅう」開始です。

机設置中に会場奥手から撮った一枚。広いんですよねぇこれが。

ホール中央にある大きい出入口(写真右手の空間)は今回使用せず、その両側にある小さい出入口をそれぞれ入場口と退場口にすることである程度導線を一定に。これにより入場直後からレイアウトが見られるよう、会場手前に舞台を配置するスタイルとなりました。

私は今回も資材提供側ですが、諸事情で全日参加が出来ないので製品展示のみを行う簡素なものに。2日目は他の参加者に場を貸して上手い具合に仕上げてもらいます。

ドボンドボン。ダメですよ〜これは。

レイアウトがないと始まらないので、ともさんに敷設を依頼。「いい感じに仕上げてくれ」と頼んだらいい感じなものができました。

鉄道模型プラレールの共演も府中ならでは。

旧製品ヤクザ「おんどれ、わしの持ってきたもんが置けへん言うんけ」
ぼく「ゆゆ、許してください...」
旧製品ヤクザ「しゃあないわ、ほな寝台特急を1カートンもろてくで」
ぼく「そ、それだけは...!」

旧製品ヤクザ「まあええ、今日だけは許したるわ」

文明。

以下は公開日。

府中国際空港が開港。

福遠ゾーンでは高架化工事が進行中。

池谷ゾーン。必ずロボットが鎮座する不思議な街です。

海外ゾーンの車庫にはあやしい車両が。

なんですかねこれ。ぼくは知りません。聞かないでください。

あ!これなら知ってますよ!これは... おや、こんな時間に呼び鈴が。

夜の新幹線に乗らねばならないので、閉場と同時に退散。資材というか、目についたものを持ってきただけというか...

第8回の記事に乞うご期待!

第18回 各務原プラレール運転会

3年ぶりに「各務原プラレール運転会」が開催されたので、行ってきました。

一昨年、昨年と全世界規模の諸般の事情で中止になっていた各務原運転会ですが、今年は無事開催されてよかったです。

ここ数年で遠出する時に計画を練るタイプから一切何も考えないタイプにシフトチェンジしてしまったため、漠然と朝早く家を出るとだけ決めておいて前日は地元で友人らと騒ぎ散らかし深夜帰り。2時間ちょいだけ寝て起床、いざ各務原へ。

朝7時半頃に某氏と新宿駅で待ち合わせる予定となっていましたが、連絡しても反応ナシ。20分くらい待ってみたら「すみません。いま起きました」との起床事故報告が入りました。彼には再発防止を徹底させ起床事故防止講習を受けさせることにし「各務原で会おう!!!!!」とだけ返してノコノコと自分一人で向かうことにしました。

新幹線の切符を買って東京駅のホームに上がるとN700Sが2本並んでいました。知らぬ間にどんどん数を増やしていきますね。
しかし、天気が悪いなぁ。

車内販売でコーヒーを買うとカップ300系デザインのものになっていてニッコリ。今年はのぞみ運行開始30周年ですよ。

瞬きをする暇もなく名古屋に到着。最近ウワサの315系を初めて見かけました。これからは見慣れた存在になるんだろうな。

おいおい、肝心のプラレールはまだかよ?と思いの方、もう少々お待ちください。とりあえずきしめんを見てマターリしましょう。

きしめんを食べる前は降っていなかった雨が、店を出たらかなり降っていてびっくり。傘持ってないよ〜。

赤ん坊の頃から名古屋圏には縁があるのですが、利用する路線が関西線だけなので今まで全く乗る機会のなかった311系に初乗車。平成初期の雰囲気が漂う良い電車でした。

岐阜駅に着く頃には雨がバカ降りしていたので号泣しながら傘を購入。駅前に置いてある名鉄のモを拝んでから会場に向かいます。

土砂降りの中、最寄駅から会場まで移動。会場前でMinamiさんに会いました。
中に入ると広大なレイアウトが広がっていました。まずは一番奥側にあるえちごやさんプレゼンツの片持ちブロック橋脚によるタワーから観察。

こちらはけんぼーさんのウネウネ走る本線の隣に広がる貨物ヤード。この向こう側には機関区があります。

桜が咲く信号所周辺。

DD51重連の石油輸送列車と機関区。圧巻です。

機関区の奥には極悪☆桜の木が植えてありました。これを見てニヤニヤしていたのはおそらく自分だけ。

会場入り口の正面に広がるのはAndyさんのトーマスゾーン。海外限定品の緑の大転車台が映えます。

えちごやさんゾーンには「プラレーラーヤード」が広がり、みんなが思い思いの車両を並べていました。

けんぼーさんゾーンに目を向けるとEF65が牽くセムの長編成が走っていました。これを集めるのがめちゃくちゃ大変なんですよね。

またまたえちごやさんゾーン。ヤードの後ろにはコンパクトに再現された新宿〜箱根のルートがあります。往復シャーシを駆使して動き回る一連のギミックは感激モノです。

「みんなが喜ぶかと思ってこれだけ持ってきたんだけど」とドボンさんが取り出したものを見て悲鳴。車両自体は以前見たことがありますが、箱と情景部品は初めて見ましたよ...

す、素晴らしい... 本物の「ロータリーじょせつしゃ」ですよ!

するとドボンさん、今度は「こっちは分解したことあるから」ともう一両を取り出し中身を開示。完全品と分解品が並ぶところを見られるとは...

桜の咲く中、元気に走るロータリーじょせつしゃ。およそ50年前の製品とは思えない走りをします。

こだまさんのHiSEにわぐちんのSE、えちごやさんのVSEなど、ロマンスカーが集っていました。
HiSEは印刷車体の製品をフルモールド化、SEは低重心で短い車体を上手く再現し、VSEは連接構造を再現したどれも拘りの改造車です。素晴らしい。

三重電池鉄道さんのゾーンでは小型の車両がたくさん走っていました。ループ線で折り返す山万の車両がベリーグッド!

航海長さんのゾーンでは立体構造と自動乗り換え駅が光ります。並んでいる製品も今や急速に入手困難品になりつつあるものたちで、個人的には見慣れた製品ですがこれからレアモノ扱いが進行していくんだろうなぁと思いました。

眠り王さんのゾーンは名鉄路面電車などが走ります。トーマスのなんらかのセットに入っていた十字レールを上手く使っているのが印象に残りました。路面電車レイアウトだと確かに使えますねこれ。

さて、前回よろしく帰りのことを全く考えていなかったのですが、別件で岐阜に和ちゃん with ハイエースが見参した事により、帰る方向が大体同じな人たちはそのまま東へ向かうことになりました。それなのに大阪に帰る予定だったKTRくんもいるあたりにみんなのノープランさが出ています。

登山。

なんだこれ...

食事(?)を済ませたら中古屋へ突撃。収穫は大してありませんでした。

途中で共に行動していたわぐちんが帰宅、ともさんも帰りの新幹線がギリの時間になったので撤収し、和ちゃん・やはっち・福遠・KTRくんとぼくの5人で一路静岡へ。雅さんを呼びつけてド深夜に浜松で合流。

浜北鑑定団で数万を飛ばしたYAHACCHI-SAN

新東名で雅さんの車とバトルを繰り返して途中のICで分かれた後、清水のPAに寄ったらバカ霧でバカ。

眠さがピークに達したところで思考回路に異常をきたし、ニコニコ組曲を合唱して楽しかったあの頃のインターネットに想いを馳せて各々帰宅。運転会アフターまで含めて濃い一日を過ごせました。



それでは、今週の一言。

ホ 
  テ
    ル

ホ テ ル

【プラレール】電車箱(単品4代目箱)の新考証および箱の差異について

プラレールの歴史の中でも未だに謎が多い単品4代目の箱、通称「電車箱」。上下箱から移行した1976年から1978年あるいは1979年初頭のEC箱登場まで生産されていたと考えられ、現行(10代目)の箱の元となっています。

そんな電車箱ですが、従来の箱から構造もデザインも一新したため試作要素が強いものだったと思われ、短い発売期間の間に何種類ものバリエーションが世に出ていたことが確認されています。大まかには2種類あり、商品名が箱にステッカーで貼られているタイプと、印刷されているタイプの2つに分けられます。

今回、同一の製品で2種類の箱を揃えることが出来ました。そして今までの考証が間違っていたことが判明したのでここに記しておきます。

まずは従来の考証。

敬慕するプラレール博物館様のプラレール車両展示室:その4では

推定ですが、発売当初は、全ての車両に専用の箱を用意していたのではないでしょうか?
そして、最初のロットの箱がなくなったときに、名前をシール貼りにした汎用の箱に切り替えていったのではないかと思います
ということは…「ニューひかり号」「寝台特急」「電車」などにも専用の箱が存在しているのでしょうか?

と考察されており、当ブログや我がプラレール資料館では上記の説を採用し、発売順は印刷箱→ステッカー箱であると推測しました。

余談ですが、資料館では商品名が印刷されているものを「専用箱」、ステッカー貼りのものを「汎用箱」と便宜上区別しています。
これはプラレール博物館の記述

そして、「パノラマ特急」の専用の箱のものも入手いたしました
以前入手したものは、シールで「パノラマ特急」と貼っているだけの汎用の箱でしたが

を参考に通称を付けています。

博物館での記述をもとに、「ニューひかり号」の専用箱を入手した際の記事では

専用箱の在庫切れ(?)と同時にどういうわけか「ニュー」を付けたようです。ニューひかり号と入れ替わりで廃盤になった旧型(ちょうとっきゅうひかり号)と区別する意味合いがあったのでしょうか?

と書きましたが、これは誤りでした。

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上段が「EC01 ひかり号」、中段が新たに入手した「ニューひかり号」、下段が以前入手した「ひかり号」です。
電車箱はどちらも、トミーの会計年度=製造年度を示す付番はG-26(1977年3月〜78年2月)、玩具安全基準を満たしていることを示すSTマークはM2162046であり、生産が同年・STマークが同一であることから製品としても同一だということが分かります。EC01はG-27(1978年3月〜79年2月)で、次年度の生産です。

商品名以外の大きな違いは箱裏面の「あそびかた」にありました。
ニューひかり号(汎用箱)では、車種によって異なる先頭車カバーの取り外し方とスイッチの位置を当時のラインナップの商品名で示しています。(このタイプを以下タイプⅠとします)
なぜか漢字表記になっていますが、この「ニューひかり号」と上下箱時代の旧「ひかり号」が併記されていることから、1976〜77年半ば頃までの間は上下箱と電車箱が並行して生産されていたことが窺えます。
ひかり号(専用箱)になると、乾電池の入れ方をABC-abcの組み合わせで示すようになり、C-12の注釈を除いてラインナップ一覧が削除されました。(以下、タイプⅡ)
この大文字小文字の組み合わせはEC箱にも継承されています。つまり、専用箱は汎用箱よりも後に発売されていることになります。

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ちなみに「パノラマ特急」他にタイプⅡの汎用箱がある事が分かっており、上下箱から続投となる車種にはこのタイプが採用されていると考えられます。(注・「ニューひかり号」は電車箱からの新製品)
他の現存個体がほとんど見つかっていないので要調査案件です。

電車箱からEC箱に至る時系列が分かったので、次は専用箱と汎用箱の差異についてです。

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汎用箱ではイラストや文字に黒いインクが、専用箱では茶色のインクが使われています。ロゴの色も若干異なります。

違うのは箱だけで、中身は変わらないものだと思っていたのですが...

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なんと、ニューひかり号の方はパンタグラフがシルバー寄りのグレーに成型されていたのです。ひかり号の方は見慣れた薄いグレー。
どういう意図があって変えたのかは不明ですが、前者がかなりのレアものである事に間違いはないでしょう。

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そんなこんなでEC箱含めて3種類の箱が揃った、青い鼻を持つ「ひかり号」。このうち、EC01と専用箱ひかり号がこの20年近くネット上にほとんど姿を現していなかったというのがかなりの驚きです。

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以前バラで入手したものも取り出して青鼻ひかり号4本を並べて記念撮影。
ライト付もいいですが、私はやっぱりこっちの方がオシャレでお上品な感じがして好きです。

というわけで、今まで不明だった電車箱についての新発見情報をまとめました。あくまでひかり号での事例なので、上記のパノラマ特急や寝台特急、1両単品のC-12やD-51なども調査したいものです。