水曜日にかねてからやろうと思っていた近代建築と廃駅巡りをやってきました。「巡り」と言っても散歩ついでに寄るみたいな感じです。
都内の近代建築と言えば東京駅(1914年)や上野駅(1932年)、国会議事堂(1936年)などが有名ですが、その他にも結構ゴロゴロあります。
写真が多いので今回はわりと長いです。
という訳でハイ↓
飯田橋駅からスタートします。現在飯田橋駅ではホームの移設工事を行っており、その前段階工事として昨年夏に西口が移設されました。上の写真の奥で線路上を横切っているのが新西口です。見ての通り湾曲したホームなので、直線ホームにするべく200mほど新宿方に移設する事になっています。
写真左に写る緩い坂は貨物駅だった飯田町駅の引き上げ線で、機関車の機回しに使われていたみたいです。ちなみに飯田町駅は1999年に廃止されています。結構最近ですね。
飯田橋駅は牛込駅(後述)と飯田町駅旅客ホームを統合し1928年に開業しました。
ホーム上屋が古レールとトラスで構成されています。えっちだ・・・w
駅を出て牛込橋から新宿方面を写します。丁度この真下にある線路の間の空間にホームが出来ます。その準備なのか柵みたいなものが置かれてますね。
飯田橋駅を出て少し歩くと、牛込駅駅舎跡が見えます。奥の薬局が駅舎跡みたいです。
調べてみると駅舎と言うよりは切符売り場と跨線橋入り口が並んで立っていたみたいなのですが、なんせ廃止が1928年なのでこれといった資料が少なく確かではありません。
ここから飯田町駅跡に向かいます。
飯田町駅跡地は「アイガーデンエア」という複合施設に再開発されており、痕跡がほとんどありません。昔ここには駅があったんやでと言いたげな線路がモニュメントとして埋められています。航空写真で見てみると中央線に当たる角度的に当時の線路をそのままの位置で再現したというわけではなさそうです。
ちなみに中央線との分岐地点は再開発されずに保線車両の留置線として再利用されているのが車内から確認できます。
飯田橋〜水道橋間で、線路と並行している神田川から分岐して日本橋川という川が流れ始めます。この川を中央・総武線が跨ぐのですが。
それを跨ぐ鉄橋、小石川通り架道橋はなんとトラス橋です。煉瓦造りの桁がえっちだ・・・w
日本橋川の両側は道路になっており、ここを跨ぐガーターがあるのでそれを観察してみます。
「HARKORT. DUISBURG-GARMNY. 1904.」
1904年、ドイツ・ハーコート社製のものでした。中央・総武線の後期開業区間はハーコート社のものが多いみたいです。
日本橋川を辿って、近代建築を見に神保町へ向かいます。
道中に見つけた建物。なんの店なのかは知りませんが店名が右書きです。調べてもあまり出てこないのでマイナーな近代建築なんだと思います。
鵜澤商店がある道をまっすぐ行くと靖国通りに出ます。靖国通りをちょろっと歩いてグイッと曲がり内堀通りへ。
九段会館。1932年竣工。立派な近代建築です。このような洋風な外観に瓦屋根を乗せた建物を帝冠様式と言うそうです。
九段会館は東日本大震災の影響で廃業、現在に至るまで閉鎖されており、今後は一部保存の上で建て替えするとかそんな事が言われています。
内堀通りに面したエントランスは重厚な造りの扉で閉ざされています。
美しい装飾、誇らしくないの?
九段会館を数枚バシャバシャ撮って、次の近代建築を見に行きます。
旧相互無尽会社ビル。1930年竣工。神保町の一角に残る近代建築です。所有者が何度か変わっていて結構改修が加わっているみたいですが、基本的には竣工当時のままみたいです。
少し歩いて白山通りに出ます。
学士会館。1928年竣工。国の登録有形文化財に指定されています。
靖国通りに戻り、一誠堂書店。1931年竣工。美術関連が中心の古書店。
リベットが丸出しだったり装飾が緑色で統一されいたりと特徴が多い建物です。店名はもちろん右書き。
一誠堂書店には1940年オリンピックの国旗掲揚器が残っています。
次に御茶ノ水駅に向かいます。
御茶ノ水駅駅舎(御茶ノ水口)。1932年竣工。地味な存在ですがこれも立派なモダニズム建築です。
側面から。地味ですね。
聖橋口側の跨線橋。アーチを描いた屋根が特徴的です。見た感じ木造でしょうか?
御茶ノ水駅から神田駅方面に中央線沿いを歩きます。
中央線が外堀通りを跨ぐ直前に4連煉瓦アーチがあります。ここには1908年〜12年の間、昌平橋駅が存在していました。1面1線の仮駅で、機回し線があった程度の小さい駅だったそうです。
仮駅とは言っても当時の甲武鉄道の起点です。高架橋の装飾が凝ったものになっています。
昌平橋を渡ると、外堀通りの上に総武線の松住町架道橋が見えます。
松住町架道橋は1932年竣工。総武線が両国から御茶ノ水まで延伸された時に架けられた二重アーチトラス橋です。えっちなんだな・・・w
昌平橋架道橋の下にマンホールがあったのですが、右書きで「人孔」とあるので戦前モノっぽいです。しかし「人孔(マンホール)」とはなんとド直球なんでしょう。
万世橋駅跡の1912階段。その名の通り1912年竣工の近代建築です。
交通博物館があった頃はここの踊り場が休憩所として使われていて、ホームに上がる階段の方は壁で塞がれていました。閉館直前の末期になると窓が設けられて中が覗けるようになっていたと記憶しています。右手の壁際に自販機があって左手にベンチがあったような。
階段の途中とホームに面していたところの壁にはさり気ない装飾があります。この階段はここら辺がセクシー、エロい。
1935階段は地味なのでスルーします。
神田駅を目指して中央線沿いをスタコラ。
神田駅に来ました。架線柱が高架橋上と地面から生えてるものの二本構成になっているのが前々から気になっていたので撮りました。
神田駅の先に今回の目的地が見えてきます。
「今川小路」
白幡橋高架橋のガード下に残る戦後のバラック飲み屋群です。この時点で東京都心とは思えない雰囲気。
昼間なのに薄暗く異様な場所です。照明なんて蛍光灯ですよ。
住宅も兼ねているみたいですが、こんなカードの下に住居を構えていると電車の騒音が凄そうですね。壁面が剥がれて木の板が見えているところも。配管は丸出しです。
丸い飾り窓が施されている店もあり、ザ・戦後みたいなデザインにワクワクします。
中央線の電車がひっきりなしに行き交います。日中だと言うのに人影は全くなく、30分ほど写真を撮るためにウロウロしていましたが通る人は工事現場の警備員程度でした。
東北縦貫線の建設工事で半分は取り壊されてしまったそうですが、今でも残るこのバラック群にはいつまでも残っていてほしいものです。
というかここの線路沿い、よく散歩で通るのですが今まで全く気付きませんでした。
「今川」という地名は現在では消滅してしまいましたが、この今川小路や付近の今川橋交差点、今川焼きなんかにもその名前が残っています。今川焼きは神田発祥のお菓子なんですね。
今回の散歩の目的を果たしてしまったので、何か被写体になるものはないかと思いウロウロします。
外堀通りに向かって歩いていると、明らかに近代建築だなと思う建物が現れてビックリ。なんだこりは。
・・・ということでした(ケツデカピングー)
疲れたので銀座線を使って帰ります。
駅に降りてみると浅草方面に01系が発車していったところでした。たまげたなぁ。
01系の折り返しに乗ろうと思ったのですが、先行列車に例の特別仕様車両が走っていたのでそれを待って乗り込みます。
渋谷駅で一枚。狭いホームなのに10人ほど鉄オタがいました。奥の留置線に後続でやってきた01系が小さく写っています。もう少しで引退するので貴重なカットになりました。
23区に残る戦前の近代建築を巡ってきましたが、御茶ノ水駅舎のように再開発で取り壊されていくものもあれば今川小路のように現在でも残るものがあったりと様々です。
文化財等に指定されていない近代建築も数あります。どれも永く残ってほしいですね。
[追記 2018/6/2] 今川小路は2017年秋に営業を終了し、2018年中に解体されてしまいました。かなしい。