四日市駅周辺散策

23日から28日にかけて、三重の実家に帰省していました。

 

だいたい帰省すると実家周辺を目的もなく散歩するのですが、今回は帰省の道中に気になる物件を見つけたので、それを見に行く事に。

f:id:Nayuho:20170828225030j:plainやって来たは四日市鄙びたJRの方です。(写真に目立つゴミが付いていますが気にしないでください)

午前11時頃に撮影したのですが、見ての通り誰もいません。寂れに寂れているのでここは社会主義国家の地方都市か何かかと思うくらいです。

 

ちなみに四日市駅は鉄道のオタクとしてはなかなか宜しい所なので少し紹介しておきます。

f:id:Nayuho:20170828225832j:plain太平洋セメントの貨物列車。三岐鉄道東藤原駅とJR四日市港駅を毎日往復している列車です。今ではDD51が牽引する定期の貨物列車はここだけとなっているそう。

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コーヒーを飲みつつ眺めていたら発車していきました。セメントを入れに行くのでしょう。

f:id:Nayuho:20170828230724j:plainまばらに留置されるタンク車と待機中の重連機関車。いかにも工業地帯の鉄道という感じで良い雰囲気です。

 

さて、駅を出て目的の場所へ向かいます。

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ほぼ廃墟となっている現役の飲屋街、三和商店街です。四日市駅のすぐそばにあります。明るい商店街[要出典]

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中に入ってみると、まずこのような光景が目に入ります。飲み屋の看板が無いと本当に廃墟にしか見えません。

建て増しを繰り返したようで、区画は単純ですが結構入り組んだイメージ。

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入り口は真っ暗なのですが、崩れたアーケードから日差しが差し込み所々明るい箇所もあります。奥のブルーシートが被せられている店舗は崩壊していました。f:id:Nayuho:20170828231520j:plain

この商店街が栄えたのは60年ほど前の事で、JR四日市近鉄四日市が隣接していた頃は賑わっていたようです。近鉄四日市が現在の位置に移転してからは急速に寂れてこの有様だとか。

肉屋もあったのでしょう、大きい看板が今でも残っています。

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壊れたトタン屋根がいい雰囲気を出していますね。

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別の通りに面した入り口。頭上注意だそうです。市から警告されるほど危険な状態にあるという事がよく分かります。

綺麗な状態の扉があったので、隙間から中を覗いて見ると既に店舗自体は崩壊済みであったり、なかなかなカオス空間です。

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鄙びた商店街と言っても度が過ぎるのではないでしょうか。流石にJRの駅付近で店が物理的に潰れてるとは思いもしませんでしたね。

 

三和商店街を充分堪能したので、四日市にある有名な橋を見に行く事にしました。

駅の反対側に出て歩く事30分。

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重要文化財に指定されている末広橋梁。現役の鉄道可動橋です。列車が通らない時間は運河を通る船のために線路を跳ね上げています。

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サイドビュー。ここに来るまで工業地帯をモリモリ歩かなければいけないのですが、散歩ルートとしては面白かったです。

 

他にも近鉄四日市側に行ったり適当に写真を撮ったりして回ったのですが、ここでは割愛する事にします。

 

帰り際、四日市駅付近にあるニイミビルを見てきました。

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こわい(小並感)

四日市駅周辺、非常に面白いので廃墟マニアや寂れたり鄙びたりしてる街が好きな人にオススメします。

 

以上。

コミックマーケット92

一般参加して参りました。

 

というわけで、夏コミの話です。

夏の開催なので毎年猛暑に見舞われて会場が地獄になるのが恒例でしたが、今回のC92では初日・二日目に雨が降り、過ごしやすい環境にあったと思います。対して三日目は何故か晴れ、いつも通りの夏コミという感じでした。集まったオタクによって急激に上昇する湿気、最悪です。C84の時みたく会場内に雲が発生しなかっただけマシと言えましょう。

 

簡易的なまとめを記します。

・初日

東1ホール、島中48サークルを絨毯爆撃。1つのホールのうちで48サークルというと数は控えめのように思えますが、自身への負担を考慮すると大変です。実際大変でした。

・二日目

企業ブース。二日目の企業となると購入者も減少しホール内の移動がスムーズに出来た印象。企業を買い回る予定はもうありませんが、するなら二日目・三日目がいいのかなぁと思いました。

・三日目

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以下、個人的な意見及び愚痴。(1項目)

 

・新東展示棟への行き来を改善してほしい

こんな事言っても変わらんよなぁと承知の上ですが、どうも気に入らないので書きます。

既存の東展示棟(1〜6ホール)と新東展示棟(7・8ホール)、隣接しているので一見移動は楽そうなのですが、これがコミケとなると話は別。どういう事情で決めているのかは分かりませんが(おそらく流動の関係)、東1〜6ホールから7・8ホールへ移動するには東5ホールを経由して一度トラックヤードに出ないといけません。

これがまたそびえ立つクソみたいな移動方法で、同人誌を求め蠢く数多のオタクを掻き分けながら東5ホールの出口を目指すとかいうハードなものです。ガレリアから東7の壁サークルに行くだけで往復20分以上。時間帯にもよりますが予想以上に時間がかかります。

 

いつになってもいいのでこれだけは改善してほしいですね。もう少し楽に移動したい。

 

 

↓私事

 

購入する同人誌の二次創作と一次創作の比率が逆転しました。ゲームもやらずアニメも観ずにという生活を送っているとこうなりますね。時が経つにつれて、自分が好きなコンテンツの本を出すサークルも減少していくので当然の結果でしょう。

 

 

なんの面白みもない記事ですが冬コミ後にも同様なものを投稿すると思います。以上。

近代建築巡り 丸の内・銀座編

前回(近代建築・廃駅巡り)の続編です。

前回は神田で終わらせたので今回は東京駅からスタートする事にしました。丸の内には東京駅を始め結構な数の近代建築が残っているので面白いです。

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というわけで東京駅丸の内駅舎です。1914年竣工。

1945年に空襲に見舞われて以後60年ほど応急処置のまま営業していたのは有名な話です。

2012年に建設当時の姿に復原されました。今でこそ復原後の姿に慣れましたが、東京駅と言うと三角屋根の方がまだイメージとしてはしっくり来ます。

f:id:Nayuho:20170716204923j:plainドーム内部を魚眼レンズで撮ってみました。美しい作りですね。鷲のレリーフが素敵です。

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東京駅の左手には旧東京中央郵便局の保存躯体があります。1933年竣工。

再開発後のJPタワーとしては2012年竣工です。なんか気付いたら高層ビルになってました。

建物の一部保存の場合、竣工年を再開発後とするか初代建設時とするか迷いますね(個人的な意見)。

 

内部は「KITTE」という商業施設になっています。郵便局なので「KITTE(切手)」、安直ネーミングってやつです。

f:id:Nayuho:20170716210627j:plain中に入るとあら不思議、すごく綺麗な空間になっています。左の白い部分が東京中央郵便局庁舎で、建物をそのまま再利用したそうです。吹き抜けはいいですね。すけべです。

f:id:Nayuho:20170716210827j:plain低層部の最上部を望遠でバシャリ。白いタイルが美しいです。

タイルを撮っているくせに手前に天井からぶら下がっているわちゃわちゃしたものがモロに写っているのは実相寺昭雄の影響を受けているからであります。

f:id:Nayuho:20170716211233j:plain6階は旧屋上を庭園にした「KITTEガーデン」になっていて、こんな感じに東京駅を撮る事ができます。

f:id:Nayuho:20170716211941j:plainJPタワーを出て丸ビルのある通りを神田方面に向かうと日本工業倶楽部会館が見えます。1920年竣工。

東京中央郵便局と同じく一部保存です。現在は三菱UFJ信託銀行の本社ビルとなっています。

来た道を戻ります。

f:id:Nayuho:20170716212655j:plain丸の内パークビルディング。こちらは近代建築でもなんでもなく2009年竣工の高層ビルです。

以前、この地には1928年竣工の「丸の内八重洲ビルヂング」が建っていましたが、三菱地所の再開発事業により解体されてしまいました。建物自体は取り壊されましたが、低層階の一部に旧ビルが再現されています。建材を再利用しているそうなので、一部保存のうちに入れてもいいかもしれません。

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近寄るとこんな感じです。近代建築を現代に蘇らせた感があります。

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パークビルディングの背後には三菱一号館。こんな見た目ですがこちらも2009年竣工です。

1894年に建設され1968年に解体された三菱1号館のレプリカ建築で、内部は美術館になっています。ここの中庭は丸の内とは思えないくらい良い所なのでオススメです。

f:id:Nayuho:20170716214052j:plain日比谷通りに出て明治生命館。1934年竣工。無料で内部の見学が出来るそうなので、入ってみました。f:id:Nayuho:20170716214331j:plain

ん〜モダンw ザ・近代建築といった感じですね。装飾も凝ったものばかり。

見所満載なので気になった方は是非行ってみる事をオススメします。ちなみにエレベーターの内部がかなり良かったです。

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続いて第一生命館、現・DNタワー21です。1938年竣工、DNタワーとしての建て替えでは1995年竣工です。戦後に連合国最高司令官総司令部が置かれたアレ。外壁はそのままですが内部は完全に作り替えられているそうです。

f:id:Nayuho:20170716215213j:plainお次は日比谷公会堂、またの名を市政会館。1929年竣工。

現在は改修工事中で利用出来なくなっています。

 

ここで丸の内近辺とおさらばして銀座へ向かいます。f:id:Nayuho:20170716215753j:plain山手線の高架線、立派な煉瓦アーチです。東京駅開業と同じく1914年竣工です。

関東大震災と戦争を耐え抜いてきた変態高架です。いくら補修されてると言っても頑丈過ぎやしませんかね...

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有楽町駅の近くにある泰明小学校。1929年竣工の復興小学校です。アーチ窓が良いですね。小学校なのでモリモリ撮るわけにもいかずそそくさと退散。

ここから外堀通りに向かいます。

f:id:Nayuho:20170716221126j:plainこちらは電通銀座ビル。1933年竣工。

建設当時は銀座一の高さを誇ったそうです。緑色のタイルが特徴的で落ち着いた雰囲気なのですが、どうやら改修中のようでネットで覆われています。

f:id:Nayuho:20170716221508j:plain1階角のタイルガラス。いいですね〜、モダンです。

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ちょっと移動してヨネイビルディング。1930年竣工。東京都選定歴史的建造物に指定されています。

 

さて、結構歩いて疲れてきたので次で最後にする事にしました。

f:id:Nayuho:20170716222212j:plain奥野ビル

 

近代建築好きの間では凄く有名な物件なのであまり詳しくは説明しないでおきます。

 

f:id:Nayuho:20170716222809j:plain1932年竣工の本館と1934年竣工の新館が隣接して一つのビルになっています。

画廊が多く入居しているので出入りは自由のようです。

というわけで中に入ってみます。

f:id:Nayuho:20170716223433j:plain2階へ上がる階段。超絶レトロな雰囲気です。階段の手すりは木造。f:id:Nayuho:20170716223606j:plain色も形も統一されていないドア。こういう混沌した狭い空間ってのが大好きです。

f:id:Nayuho:20170716223757j:plainエレベーターの階数表示器がなんとも言えませんね。

f:id:Nayuho:20170716223948j:plainまた魚眼を使うなど。

階段の横には窓がありますが、顔を出しても新館側の階段が見えるだけです。おそらく本来はちゃんとした窓だったんでしょうね。増築の時にそのまま残されたのでしょう。

 

f:id:Nayuho:20170716225750p:plain地下1階があったので下りてみました。変電設備と謎の椅子が2脚、あと謎のドア。

非常に味のある空間です。

 

文化財に指定されて保護されている近代建築も良いですが、この奥野ビルのように昔のままずっと使い込まれている近代建築も最高ですね。(前回も同じような締め方をしたような気がする)

 

今回の近代建築巡りはここで切り上げましたが、未だに回れていない所も数多くあるので近いうちにもう一度巡りたいと思います。

 

ではまた。

新宿西口地下広場(2)

この前、新宿西口を利用した時に例のタイルが思いっきり現存していることに気がつきました。JRの新宿西口を出たところです。

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丸い部分の隙間は黒い丸ではなく白い丸の集合体となっていますが、以前地下広場を舗装していたソレそのものです。

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 広場との境目はこうなってます。管轄が違うのでJR側はそのまま残っているのでしょうね。写真を見てわかる通りかなりボロボロなので、いつか舗装し直されそうな気がします。

新宿西口地下広場

f:id:Nayuho:20170522232857j:plain利用者なら見慣れた場所だと思います。

 

先日アド街を見てて思い出したのですが、そういえばここの通路は以前まで白の波紋のようなタイルと黒いゴムのようなもの舗装されていましたね。ここ数年の改装工事で写真のような舗装に変わってしまいました。

 

というわけで、新宿に出掛けた際にそのタイル舗装の痕跡を探してみる事にしました。

と言っても舗装の全面交換なので多分見つからないだろうと思っていたのですが。

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16番出入口の脇であっさり見つけました。

 

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この黒い丸の集合体が白いタイルの隙間に敷き詰められていたモノです。久々に見ました。こういう狭いところまでは工事の手が及ばないんですね。

 

1ヶ月以上ぶりの更新が地味ネタになったので、また深夜徘徊でもして来ようと思います。以上。

近代建築・廃駅巡り

水曜日にかねてからやろうと思っていた近代建築と廃駅巡りをやってきました。「巡り」と言っても散歩ついでに寄るみたいな感じです。

都内の近代建築と言えば東京駅(1914年)や上野駅(1932年)、国会議事堂(1936年)などが有名ですが、その他にも結構ゴロゴロあります。

写真が多いので今回はわりと長いです。

 

という訳でハイ↓

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飯田橋駅からスタートします。現在飯田橋駅ではホームの移設工事を行っており、その前段階工事として昨年夏に西口が移設されました。上の写真の奥で線路上を横切っているのが新西口です。見ての通り湾曲したホームなので、直線ホームにするべく200mほど新宿方に移設する事になっています。

写真左に写る緩い坂は貨物駅だった飯田町駅の引き上げ線で、機関車の機回しに使われていたみたいです。ちなみに飯田町駅は1999年に廃止されています。結構最近ですね。

飯田橋駅は牛込駅(後述)と飯田町駅旅客ホームを統合し1928年に開業しました。

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ホーム上屋が古レールとトラスで構成されています。えっちだ・・・w

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駅を出て牛込橋から新宿方面を写します。丁度この真下にある線路の間の空間にホームが出来ます。その準備なのか柵みたいなものが置かれてますね。

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飯田橋駅を出て少し歩くと、牛込駅駅舎跡が見えます。奥の薬局が駅舎跡みたいです。

調べてみると駅舎と言うよりは切符売り場と跨線橋入り口が並んで立っていたみたいなのですが、なんせ廃止が1928年なのでこれといった資料が少なく確かではありません。

ここから飯田町駅跡に向かいます。

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田町駅跡地は「アイガーデンエア」という複合施設に再開発されており、痕跡がほとんどありません。昔ここには駅があったんやでと言いたげな線路がモニュメントとして埋められています。航空写真で見てみると中央線に当たる角度的に当時の線路をそのままの位置で再現したというわけではなさそうです。

ちなみに中央線との分岐地点は再開発されずに保線車両の留置線として再利用されているのが車内から確認できます。

飯田橋〜水道橋間で、線路と並行している神田川から分岐して日本橋川という川が流れ始めます。この川を中央・総武線が跨ぐのですが。

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それを跨ぐ鉄橋、小石川通り架道橋はなんとトラス橋です。煉瓦造りの桁がえっちだ・・・w

日本橋川の両側は道路になっており、ここを跨ぐガーターがあるのでそれを観察してみます。

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「HARKORT. DUISBURG-GARMNY. 1904.」

1904年、ドイツ・ハーコート社製のものでした。中央・総武線の後期開業区間はハーコート社のものが多いみたいです。

 

日本橋川を辿って、近代建築を見に神保町へ向かいます。f:id:Nayuho:20170224045946j:plain

道中に見つけた建物。なんの店なのかは知りませんが店名が右書きです。調べてもあまり出てこないのでマイナーな近代建築なんだと思います。

鵜澤商店がある道をまっすぐ行くと靖国通りに出ます。靖国通りをちょろっと歩いてグイッと曲がり内堀通りへ。

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九段会館。1932年竣工。立派な近代建築です。このような洋風な外観に瓦屋根を乗せた建物を帝冠様式と言うそうです。

九段会館東日本大震災の影響で廃業、現在に至るまで閉鎖されており、今後は一部保存の上で建て替えするとかそんな事が言われています。

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内堀通りに面したエントランスは重厚な造りの扉で閉ざされています。

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美しい装飾、誇らしくないの?

 

九段会館を数枚バシャバシャ撮って、次の近代建築を見に行きます。

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旧相互無尽会社ビル。1930年竣工。神保町の一角に残る近代建築です。所有者が何度か変わっていて結構改修が加わっているみたいですが、基本的には竣工当時のままみたいです。

少し歩いて白山通りに出ます。

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学士会館。1928年竣工。国の登録有形文化財に指定されています。

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靖国通りに戻り、一誠堂書店。1931年竣工。美術関連が中心の古書店

リベットが丸出しだったり装飾が緑色で統一されいたりと特徴が多い建物です。店名はもちろん右書き。

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一誠堂書店には1940年オリンピックの国旗掲揚器が残っています。

次に御茶ノ水駅に向かいます。

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御茶ノ水駅駅舎(御茶ノ水口)。1932年竣工。地味な存在ですがこれも立派なモダニズム建築です。

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側面から。地味ですね。

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聖橋口側の跨線橋。アーチを描いた屋根が特徴的です。見た感じ木造でしょうか?

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御茶ノ水駅から神田駅方面に中央線沿いを歩きます。

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中央線が外堀通りを跨ぐ直前に4連煉瓦アーチがあります。ここには1908年〜12年の間、昌平橋駅が存在していました。1面1線の仮駅で、機回し線があった程度の小さい駅だったそうです。

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仮駅とは言っても当時の甲武鉄道の起点です。高架橋の装飾が凝ったものになっています。

昌平橋を渡ると、外堀通りの上に総武線の松住町架道橋が見えます。

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松住町架道橋は1932年竣工。総武線が両国から御茶ノ水まで延伸された時に架けられた二重アーチトラス橋です。えっちなんだな・・・w

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昌平橋架道橋の下にマンホールがあったのですが、右書きで「人孔」とあるので戦前モノっぽいです。しかし「人孔(マンホール)」とはなんとド直球なんでしょう。

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万世橋駅跡の1912階段。その名の通り1912年竣工の近代建築です。

交通博物館があった頃はここの踊り場が休憩所として使われていて、ホームに上がる階段の方は壁で塞がれていました。閉館直前の末期になると窓が設けられて中が覗けるようになっていたと記憶しています。右手の壁際に自販機があって左手にベンチがあったような。

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階段の途中とホームに面していたところの壁にはさり気ない装飾があります。この階段はここら辺がセクシー、エロい。

1935階段は地味なのでスルーします。

神田駅を目指して中央線沿いをスタコラ。

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 神田駅に来ました。架線柱が高架橋上と地面から生えてるものの二本構成になっているのが前々から気になっていたので撮りました。

 

神田駅の先に今回の目的地が見えてきます。

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「今川小路」

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白幡橋高架橋のガード下に残る戦後のバラック飲み屋群です。この時点で東京都心とは思えない雰囲気。

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昼間なのに薄暗く異様な場所です。照明なんて蛍光灯ですよ。

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住宅も兼ねているみたいですが、こんなカードの下に住居を構えていると電車の騒音が凄そうですね。壁面が剥がれて木の板が見えているところも。配管は丸出しです。

丸い飾り窓が施されている店もあり、ザ・戦後みたいなデザインにワクワクします。

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中央線の電車がひっきりなしに行き交います。日中だと言うのに人影は全くなく、30分ほど写真を撮るためにウロウロしていましたが通る人は工事現場の警備員程度でした。

東北縦貫線の建設工事で半分は取り壊されてしまったそうですが、今でも残るこのバラック群にはいつまでも残っていてほしいものです。

というかここの線路沿い、よく散歩で通るのですが今まで全く気付きませんでした。

「今川」という地名は現在では消滅してしまいましたが、この今川小路や付近の今川橋交差点、今川焼きなんかにもその名前が残っています。今川焼きは神田発祥のお菓子なんですね。

 

今回の散歩の目的を果たしてしまったので、何か被写体になるものはないかと思いウロウロします。

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外堀通りに向かって歩いていると、明らかに近代建築だなと思う建物が現れてビックリ。なんだこりは。

・・・ということでした(ケツデカピングー)

 

疲れたので銀座線を使って帰ります。

駅に降りてみると浅草方面に01系が発車していったところでした。たまげたなぁ。 

01系の折り返しに乗ろうと思ったのですが、先行列車に例の特別仕様車両が走っていたのでそれを待って乗り込みます。

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渋谷駅で一枚。狭いホームなのに10人ほど鉄オタがいました。奥の留置線に後続でやってきた01系が小さく写っています。もう少しで引退するので貴重なカットになりました。

 

23区に残る戦前の近代建築を巡ってきましたが、御茶ノ水駅舎のように再開発で取り壊されていくものもあれば今川小路のように現在でも残るものがあったりと様々です。

文化財等に指定されていない近代建築も数あります。どれも永く残ってほしいですね。

 

[追記 2018/6/2] 今川小路は2017年秋に営業を終了し、2018年中に解体されてしまいました。かなしい。

夜の散歩

今週の月曜日深夜、もう春休みなんだしどっか出かけたりしようかなと思い、夜の街を散歩しに行く事にしました。

 

地元を散歩するのも飽きたので都心の方に出ました。

どこを散歩しようかなど特に考えていなかったので、終電が近い時間に行ける所まで行って降りた駅から適当に歩こうかなと。

新宿まで出て、山手線の品川行きで品川へ。 

f:id:Nayuho:20170210221159j:plainここから始発の時間までふらつきます。

 

カメラを持ってきたので何か目についたものを撮ろうかと思い、第一京浜を田町方面に歩いてみたのですが全くグッとくるものが無く、それになんか歩いていて面白くもない。途中見つけた看板で「電線を地中化しました」と書かれているのを発見し、面白くない原因が分かりました。電柱と電線が無かったからですね。電柱と電線は被写体として大好きなモノです。とりあえず撮るものがないと電柱電線を様々な角度で撮るのですが、これがそもそも無いとなるとそりゃつまらないですわ。

 

東京タワーが見えてきました。

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札の辻歩道橋に上がって一枚。深夜なのでほとんどのビルの灯りが消えていて、東京タワーが目立ちます。

ここから第一京浜を外れて芝公園方面に歩き、東京タワーを何枚か撮ろうかと思ったのですが良いアングルが見つからず微妙な気持ちになったので、環二通りから第一京浜方面へ。第一京浜は東新橋一丁目から山手線外に出るので、また第一京浜を外れて山手線の内側を歩きます。

明治時代に作られた高架橋に沿って歩いて有楽町付近まで来ました。

f:id:Nayuho:20170210223140j:plain二葉町架道橋です。

「二葉町髙架橋」と書かれたプレートと、今は使われていない電灯を見つけたので撮ってみました。いつ頃からあるものなのでしょうか。

同じ様式のプレートはないかなと思い、高架橋と交差する道があればそれをくぐるといった動きを繰り返し。

f:id:Nayuho:20170210224127j:plain内山下町高架橋で見つけました。今回見つけたのはこれだけですが、他にもあるかもしれません。

少し進むと晴海通りと交差する第一有楽橋架道橋が見えてきます。f:id:Nayuho:20170210225101j:plain歩道となっているアーチの下にレトロな佇まいの飲み屋があります。

f:id:Nayuho:20170210225847j:plain壁一面に貼られた古い映画のポスターとホーロー看板。最近の広告もありますね。ここの雰囲気は好きです。

ここからすぐなので、東京駅を目指します。

f:id:Nayuho:20170210230452j:plain東京駅の丸の内口は南北とも一日中開いてるみたいです。中に入って外を向き一枚。深夜なので当然と言えば当然なのですが、東京駅に誰もいないというのは不思議な感じがします。(写真がガバくてクソ)

この時点で4時でした。もう1時間ほどすると始発だな〜と思い、秋葉原で散歩を終わらせる事に。

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4時50分くらいの秋葉原駅前。寝静まった街は良いですね。

5時になったので帰ります。

f:id:Nayuho:20170210231324j:plain家に着く頃には空が若干明るくなっていました。おねむです。バタンキュー。

色々と。

朝ですよ、朝。いまこの文章を打っている時点で4時29分。

 

さて、何故今更ブログを開設したかと言いますと、長文を書きたくなったからです。ちなみに長文を書くのは下手です。すみません。

 

私は以前もブログを持っており、2008年から2011年までの約3年間ずっと更新を続けていましたが、ツイッターの利便性や使いやすさ及び情報収集ツールとしての有用性に気付いた時には既にブログをほっぽっていました。そのブログで数多の黒歴史を生み出し、閉鎖(名目上)と共に多くの記事を必死こいて非公開設定にしていたのが懐かしいです。

嫌ですねぇ。ブログってやるもんじゃないですよ。

 

はい、というわけで新年です。2017年。平成29年です。皇紀にすると2677年かな?

新年なので昨年末の話をします。趣味のことやオタク特有の恋愛観の話もしたいのですが、後回しにします。恋愛は嫌いです。

 

コミケの話です。コミックマーケット。3日間参加してきました。C91で8回目の参加です。ここまで来ると流石に慣れてきましたが、まだ分からない事だらけだなと会場に足を運ぶ度に痛感します。

私の初コミケは高1の夏でした。オタクと化した中学生の頃から行きたいと思っていたのですが、資金難や偏見、恐怖心などで行けず。やっと参加の目処が立ったのは美味しい話が舞い込んで来たからでした。簡単に言えば手伝いに来いという話です。

 

C84は過去最高気温を記録し、東ホールにコミケ雲が発生するという巨大なサウナのような状態で開催されていたと記憶しています。

私はお使いを頼まれて買い回っていただけです。2日間参加して企業ブースパンフレットを2冊持って帰ってきただけだったのは良くも悪くもない思い出です。そういえば、企業パンフの表紙の子って毎回眼鏡っ娘なんですよね。眼鏡っ娘好きのくせに最近気付きました。

コミケというのは面白いところで、参加を重ねるごとに趣味の幅が広がって行くイベントであります。主な目的はR-18のすけべ本なのですが、たまに鉄道本やミリタリー本も買ったりします。商業誌が取り上げないニッチな内容を書き綴っている本とか大好物です。コミケに出されてる本は大体そうですよね。

このほど所持している同人誌が300冊を突破しました。8回参加して300冊は多いのやら少ないのやら... 毎回数万は飛ばしているのですが、新刊セットに金を取られて同人誌の冊数自体はあまり増えないのが現状です。金が欲しい本がほしい。

8回も参加してきますと、好きなサークルが出来てくるわけです。毎回買っちゃうところ。こういうサークルに限って大手や準大手なんですよね。完売したらやだなーって思いながらサークルチェックをしています。

C91でのチェックサークル数は109でした。仲間内からするとまだ少ないそうです。多いわ。

 

今回のコミケは、ビッグサイトに東7・8ホールが新設され、そこをサークルスペース及び更衣室とした過去最大規模のコミックマーケットとなりましたね。東7は見に行ってきたのですが柱が多くてどこぞにある地下貯水施設を彷彿とさせます。またこの柱が厄介で、サークルの番号がズレる原因になっているんですよ。例えば1ブロック10サークルあるとして、そのうち1サークル分が柱に取られて会場図では1ブロック9サークルになっているみたいな... 分かりにくいと思うけど伝われ(投げやり)。

東7・8ホールは1〜6ホールとは違い独立していて、今回はこのホール間移動で問題が発生したそうです。導線が詰まっちゃったとかね。スタッフも当日にならないと分からないなどと言っていましたし仕方がない事だとは思いますが、改善されてほしい一件です。

 

今回は面白い事がありましたね。有名どころですと叶姉妹の参加や比村乳業の恒例高速頒布などが挙げられますが、個人的には蒼樹うめ先生のサークル「apricot+」が数年ぶりに参加した事です。ひだまりスケッチが好きなひだまらーとして、うめ先生の本は外せません。もちろん購入しました。

うめ先生の前回参加が2012年、キャラデザを受け持った「魔法少女まどか☆マギカ」から1年、ひだまりスケッチ×ハニカムの放送があった年でうめ先生も忙しかったと思います。「apricot+」は以前の出展状況を見るに大混雑サークルで、今回は久々の出展で更に阿鼻叫喚なんだろうなぁと思っていましたが予想通りでした。会場前で待機列1000人超えとの情報も... 

うめ先生を拝む事が出来て私は満足でした。新刊の絵も可愛かったです。好き好き大好きやっぱ好きって感じ。次回参加も期待しております。

 

この時点で5時21分。一つの記事を書くのに1時間くらい掛けてるの面白いですね。

コミケの話も薄い内容を必死に引き伸ばしてる感じがします。数年ぶりのブログは慣れませんね。

 

それではまた。